解説
 ご存知2世竹田出雲・三好松洛・並木千柳の手になる「時代物浄瑠璃三大名作」(「歌舞伎の三大名作」と言う人がおられたら、必ず穏やかに指摘いたしましょう。それにしても、これらが1つのグループの作品で、隣り合った3年間に連発されたということが凄いですね)の3作目で、寛延元(1748)年8月竹本座で初演されました(上演中にいわゆる「忠臣蔵騒動」がおこり、太夫・作者とも最強を誇っていた竹本座の体制が崩壊するきっかけを作ったことでも有名です)。
  誰もが知っている人気曲なのですが、文楽での上演回数は意外に少ないのです。それは、本作は大序から11段目までの通しで上演されるのが通例だからです。当劇場の本公演での上演はこれまでに6回ありますが、開場初年度の1984年11月に8段目だけ、1985年1月に大序・3段目・4段目・5段目・6段目・7段目・11段目を上演していますからこれでワンセット。実質5回と考えてよいでしょう。35年間に5回。すなわち、7年に1回ということになります。
  さて、当劇場最初の84年11月&85年1月の時は2段目・9段目・10段目が上演されていません。1月の公演が3部制でお客の入れ替えの時間が余分にかかったうえ、『釣女』が併演されたからです。残りの4回、すなわち1994年11月、1998年11月、2004年11月、2012年11月はすべて大序・2段目・3段目・4段目・5段目・6段目・7段目・8段目・9段目・11段目という建て方、すなわち各段にそれぞれ一部省略はあるものの、10段目を除くほとんどを上演する点が共通しており、このやり方が標準であることがわかります。
今回の上演は3回に分け、4月に大序から4段目まで、夏休みに5段目から7段目まで、11月に8段目から11段目までを配することによって、現在文楽で可能なところをすべて上演し、もって開場35周年の記念企画とするようです。大序から4段目までを4月、5・6段目を7月下旬から8月上旬に上演というのは作品中の季節にあっているのですが、それならば7段目は11月公演で、8~11段目は初春公演で上演したほうがよいのです。
  原作の梗概は別稿に譲るとして、今月の『仮名手本忠臣蔵』第1部は、関東管領として新たに鎌倉に赴任した足利直義(この時期直義は確かに鎌倉にいますが、作品の設定は史実とは大きく異なっています)による新田義貞の兜の鶴岡八幡宮への奉納をめぐって高師直と桃井若狭助との間に遺恨が生じるところから、横恋慕した顔世に振られたことで師直の矛先が塩谷判官に向かい、おとなしい判官が殿中刃傷に至る経過、判官が九寸五分を腹に突き立てたところへ家老大星由良助が到着し、おだやかに鎌倉の塩谷館を明け渡すまで、すなわち赤穂事件の勅使饗応から赤穂城明け渡しまでに相当する所です。
 (F.T.)
 
 
 
 解説
 2012年4月以来ちょうど7年ぶりの上演。
 中邑阿契・豊竹応律・黒蔵主・三津飲子・浅田一鳥合作、宝暦7(1757)年12月豊竹座初演。小田(織田)信長・真柴久吉(ましばひさよし)(羽柴秀吉)が足利義昭を擁立して前将軍義輝弑殺(しいさつ)の首謀者松永大膳を討ち果たすまでの活躍に、狩野介直信(かののすけなおのぶ)と雪姫の恋・久吉の旧主是斎(ぜさい)(松下嘉平次)一家の艱難などを絡めて描く5段続の時代物で、宝暦9(1759)年2月まで3年越し15か月続演という大当たりをしました。  全体の中心部分は「初段切・室町御所」「2段目切・信長下屋敷」「3段目切・是斎住家」「4段目切・金閣寺」の4場面ですが、4段目は「口・浮世風呂」と今回上演の「切の口・金閣寺(碁立)」「切の奥・金閣寺(爪先鼠)」からなっています。将軍足利義輝を殺した松永大膳は金閣寺に立て籠もり、義輝の母慶寿院(けいじゅいん)を人質として楼上に押し込めています。慶寿院が天井の板に龍の墨絵を描けと所望しますので、大膳は慶寿院の侍女で雪舟の孫である雪姫とその夫である狩野之介直信を呼び出しますが、2人とも従わないので捕らえてしまいます。
 (F.T.)
 
 
 解説
 当劇場6回目の上演で平均的頻度。5年3か月ぶりの登場。「四条河原」をつけて上演されるのが通例で、つかなかったのは1回だけです。
 天明2(1782)年春、2世豊竹八重太夫の江戸下り「御目見得出語り」の演目として外記座で初演された作者不詳、3巻からなる世話物、と諸書に述べられていますが、これでは説明が不十分だと思います。
 2世八重太夫は明和2(1765)年3月、師・2世豊竹此太夫の初名を2代目として名乗り、『しきしま操(みさお)軍記』の2段目切の口と5段目で本格デビューしましたが、次の『内助手柄淵(ないすけてがらのふち)』で豊竹座が道頓堀から退転したため、此太夫を頼って江戸・肥前座に下向。翌3年師とともに大坂に戻り、豊竹此母座に参加しました。明和6(1769)~7(1770)年にまた肥前座に出勤。7年12月帰坂して師匠が主宰する豊竹若大夫座に参加。安永4(1775)年9月に豊竹此吉座の2段目切語りに昇進しましたので、同9(1780)年春の3度目の江戸下り(今度は外記(げき)座)の際には本来の役場のほかに『けいせい恋飛脚』の「新口村」で御目見得出語りをしました。4度目になる天明2年の江戸下りの御目見得出語り『近江源氏先陣館』9段目が好評だったので、第2弾として選ばれたのが6年以前の安永5(1776)年4月北堀江市ノ側芝居で大当たりをとった役場、『三国無双奴請状(さんごくぶそうやっこのうけじょう)』の4段目口「猿廻し」でした。
  天明2年の秋まで外記座に出勤した後上方に上った八重太夫は、同3年正月から座摩社・豊竹此吉座(北堀江市ノ側芝居は普請中)で「江戸土産」として「猿廻し」を語りました。頼桃三郎(らいももさぶろう)氏によれば、『近頃河原の達引』の本文は「堀川猿廻し」以外の段はほとんどを菅専助の『紙子仕立両面鑑(かみこじたてりょうめんかがみ)』(明和5〈1768〉年12月北堀江市ノ側芝居初演)、一部を近松半二・竹本三郎兵衛合作『京羽二重娘気質(きょうはぶたえむすめかたぎ)』(宝暦14〈1764〉年4月京・竹本座初演)から「大たいの構造のみならず詞章までも借用」しているということです(岩波文庫『近頃河原達引・桂川連理柵』解説)。座摩社・豊竹此吉座のこのあとの二の替り・三の替りでは『紙子仕立両面鑑』の上之巻・中之巻が併演されています。頼氏は慎重に断定を避けておられますが、3月15日からの四の替りの併演演目が時代物『義仲勲功記』だけになっていることからみて、休筆中の菅専助の了承を得た(近松半二はこの年2月4日没)座の関係者が「寄木細工式につくりあげ」(頼氏)、外題をつけたものでしょう。したがって、世話浄瑠璃『近頃河原の達引』の初演は「天明3(1783)年3月、座摩社・豊竹此吉座」としてよいと思います。
 元禄16(1703)年京都三本木の河原で心中したお俊・庄兵衛の情話は、享保3(1718)年の京・大和山甚左衛門座の『おしゆん伝兵衛十七年忌』(実際には事件後満15年)で初めて劇化されたのですが、猿廻しの趣向を加えて「出世奴(しゅっせやっこ)物」(豊臣秀吉の出世を題材とする作品群)の『奴請状』に組み込まれていたのです。祇園の遊女おしゅんと掛屋商井筒屋伝兵衛はかねてからの恋仲。おしゅんに横恋慕している伊勢亀山藩の勘定役横渕官左衛門は、藩邸出入りの商人である伝兵衛から300両を騙し取って身請けしようとしますが、うまくいきません。
 (F.T.)
 (F.T)
 (F.T)
首の名前
 役名 かしら名 
 
足利忠義  若男
高師直 大舅
塩谷判官 検非違使
桃井若狭助  源太
顔世御前  老女方
奴関内  端役
奴可介  端役
加古川本蔵  鬼一
妻戸無瀬  老女方 
娘小浪 
大星力弥  若男
鷺坂伴内  伴内 
早野勘平 源太
腰元おかる
茶道珍才 丁稚
原郷右衛門 
斧九太夫 虎王
石堂右馬丞 孔明
薬師寺次郎左衛門 陀羅助
大星由良助 孔明
 
松永大膳 口あき文七
松永鬼藤太 陀羅助
石原新五 端敵
乾丹蔵 小団七
川嶋忠治 端敵
雪姫
十河軍平実は加藤正清 鬼若
此下東吉後に真柴久吉 検非違使
狩野之介直信  源太
慶寿院
 
横淵官左衛門 陀羅助
仲買勘蔵 端敵
井筒屋伝兵衛 源太
廻しの久八 検非違使
稽古娘おつる 女子役
与次郎の母
猿廻し与次郎 又平
娘おしゅん
 
 








 
衣裳
仮名手本忠臣蔵
足利直義 白綸子半腰 藤色錦唐草狩衣(しろりんずはんごし ふじいろにしきからくさかいぎぬ)
高師直 黒繻子大紋 茶地唐織半腰(くろじゅすだいもん ちゃじからおりはんごし)
塩冶判官(大序) 鬱金繻子大紋 白地唐織華紋半腰(うこんじゅすだいもん しろじからおりかもんはんごし)
塩冶判官
(三段目・殿中刃傷の段)
納戸縬織熨斗目半腰 納戸木綿菊菱小紋長袴(なんどしじらおりのしめはんごし なんどもめんきくびしこもんながばかま)
桃井若狭助 浅葱繻子大紋 紺地錦半腰(あさぎじゅすだいもん こんじにしきはんごし)
顔世御前(大序) 赤綸子着付 白地唐織華紋打掛(あかりんずきつけ しろじからおりかもんうちかけ)
顔世御前
(四段目・花籠の段)
浅葱綸子着付 納戸綸子御所解縫打掛(あさぎりんずきつけ なんどりんずごしょときぬいうちかけ)
顔世御前
(四段目・塩谷判官切腹の段)
白羽二重着付打掛 白羽二重文庫帯(しろはぶたえきつけうちかけ しろはぶたえぶんこおび)
加古川本蔵 白茶羽二重半腰 玉子羽二重縫掛 黒精好肩衣(しらちゃはぶたえはんごし たまごはぶたえぬいかけ くろせいごうかたぎぬ)
娘小浪
(二段目・松切の段)
藤色縮緬霞松竹梅縫振袖着付 朱色唐織振帯(ふじいろちりめんかすみしょうちくばいぬいふりそできつけ しゅろからおりふりおび)
鷺坂伴内
(三段目・下馬先進物の段)
紫縮緬翁格子袖熨斗目半腰(むらさきちりめんおきなごうしそでのしめはんごし)
早野勘平
(三段目・下馬先進物の段)
黒羽二重着付 紺木綿小紋裃(くろはぶたえきつけ こんもめんこもんかみしも)
おかる
(三段目・おかる文使いの段)
白縮緬紫矢絣振袖着付(しろちりめんむらさきやがすりふりそできつけ)
大星力弥
(四段目・花籠の段)
納戸羽二重翁格子袖熨斗目中振袖中子役半腰(なんどはぶたえおきなこうしそでのしめちゅうぶりそでちゅうこやくはんごし)
原郷右衛門
(四段目・花籠の段)
紺鼡羽二重半腰(こんねずはぶたえはんごし)
大星由良助
(四段目・塩谷判官切腹の段)
黒羽二重半腰 鼡精好鮫小紋裃(くろはぶたえはんごし ぬずみせいごうさめこもんかみしも)
祇園祭礼信仰記
松永大膳 白綸子大寸二重フキ着付(しろりんずだいすんにじゅうぶききつけ)
雪姫  赤綸子御所解縫振袖着付・打掛(あかりんずごしょときぬいふりそできつけ・うちかけ)
此下東吉後に真柴久吉  白地唐織華紋半腰(しろじからおりかもんはんごし)  
近頃河原の達引
井筒屋伝兵衛 紫紺縮緬小棒縞着付(しこんちりめんこぼうじまきつけ)  
猿回し与次郎  鼡木綿黒木綿茶丸つなぎ肩入着付(ねずみもめんくろもめんちゃまるつなぎかたいれきつけ)
娘おしゅん 黒縮緬秋草裾模様着付(くろちりめんあきくさすそもようきつけ)  
 



資料提供:国立文楽劇場文楽技術室衣裳担当
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