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東海道五十三次
講談師が語る「東海道五十三次」です。声に出して読んでみましょう。
都路は五十路あまりに三つの宿。
時へて咲くや江戸の花、波静かなる品川や、やがて越え来る川崎の、軒端ならぶ神奈川は、はや程ケ谷のほどもなく、暮れて戸塚に宿るらん。紫匂う藤沢の、野面に続く平塚も、元の哀れは大磯か、蛙鳴くなる小田原は、箱根を越えて伊豆の海、三島の里や神垣や、宿は沼津のまこと草、さらでも原の霧拂う。
富士の嶺近き吉原と、 共に語らん蒲原や、安らう宿の由井なると、思い興津に焼く塩の、後は江尻の朝ぼらけ、今日は駿河の国府行く。暮れに数ある鞠子とは、渡る岡部の蔦の道、千歳の松の藤枝よ、よしや島田の大井川、渡る思いは金谷とて、照る日光は、日坂に賑わう里の掛川と、かけて袋井吹く風の、登る見付の八幡とは、浜松ケ枝の年久し。
日暮し頃に舞坂を、遠ち近ち過ぐる新居の磯、袖に浪越す白須賀も、もとより名のみ二川や、浦吹く風の吉田こそ、思い知られし御油の里。とけにし花も赤坂の野田にやまさる藤川を、岡崎の宿いかならむ。
結ぶ池鯉鮒のかりの夢、醒むる波間の鳴海潟、ただ此処もとに熱田の宮、八十うち渡る桑名の海、道の行くへは四日市誓いも堅き石薬師、庄野の宿り、これぞよと、齢久しき亀山と、遂ぐる人なき関ならじ。
賎が家並ぶ坂下、誰が土山に座せしめん。降れたる霧の水口に、濁らぬ末の石部かな。
野辺は緑ぞ草津わけ、実にも守りは大津とは、花の錦の九重に、心浮き立つ都ぞと、君の寿祝いたり、目出度たかしく。
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東海道五十三次地図
http:www.sanseido-publ.co.jp/publ/tokaido_hdb_tizu.gif
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平維茂(たいらの・これもち、生没年不詳)は、平将門(まさかど)の乱(939-940)を平定した平貞盛(さだもり)の養子。貞盛の弟の繁盛(しげもり)の子とも孫とも伝えられる。貞盛・繁盛は桓武平氏の祖・高望王(たかもちおう)の孫にあたる。信濃守(しなののかみ、今で言うと長野県知事)に任じられる。
戸隠山(とがくしやま)は長野県北部にある山。戸隠神社の祭神の一つ、天手力雄神(あめのたぢからおのみこと、天手力男神とも)が投げた天の岩戸がこの地に飛んできたとの伝承がある。
戸隠山の鬼女伝説は室町時代に観世小次郎信光(かんぜ・こじろうのぶみつ)によって能『紅葉狩』にまとめられ、明治20(1887)年10月に東京新富座で歌舞伎として初演、新歌舞伎十八番に。九代目市川團十郎の更科姫と五代目尾上菊五郎の維茂による明治32(1899)年撮影のフィルムは現存する日本最古の映画としても有名。文楽としては昭和14(1939)年11月四ツ橋文楽座初演
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役名 |
かしら名 |
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奴虎蔵 実は
源牛若丸 |
男中子役
若男 |
僧正坊 実は 吉岡鬼一法眼 |
鬼一 |
鬼若丸 後に 武蔵坊弁慶 |
鬼若 |
吉岡鬼次郎 |
検非違使 |
妻お京 |
老女方 |
奴智恵内 実は 吉岡鬼三太 |
検非違使 |
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調姫 |
女子役 |
乳人重の井 |
老女方 |
馬方三吉 |
男子役 |
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親平作 |
武氏 |
呉服屋十兵衛 |
源太 |
娘お米 |
娘 |
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平維茂 |
検非違使 |
更科姫 実は 鬼女 |
娘 ・ 鬼女 |
山神 |
鬼若 |
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吉岡鬼一法眼 |
金茶錦結蜀江丸華紋 |
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平維茂 |
藤色精好地花丸染縫文狩衣 |
更科姫 |
赤花紗綾形綸子秋花着付 |
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鬼一法眼三略巻 |
紅葉狩 |
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平成23年夏休み特別公演 「絵本太功記」 |
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