蘆屋道満大内鑑
解説
 享保19(1734)年4月竹本座で初演された全5段の時代物。作者・初世竹田出雲(?~1747)は道頓堀のからくり芝居の興行師・初世竹田近江(おうみ)(?~1704)の次男で、宝永2(1705)年に初世竹本義太夫(1651~1714)から竹本座の経営権を引き継いで座元となり、享保8(1723)年から近松門左衛門の指導・添削で浄瑠璃の執筆を始めました。松田和吉との合作である『大塔宮曦鎧(おうとうのみやあさひのよろい)』(1723)が第1作、並木千柳ら「ゴールデン・トリオ」の監修にあたった『菅原伝授手習鑑』(1746)が最終作ですから、本作は作者として脂の乗り切ったころのものということになります。出雲はほかに『大内裏大友真鳥(だいだいりおおとものまとり)』(1725)『出世握虎稚物語(しゅっせやっこおさなものがたり)』(1725)『加賀国篠原合戦(かがのくにしのはらかっせん)』(1728)『三庄太夫五人嬢(むすめ)』(1734)『小栗判官車街道』(1738)『ひらかな盛衰記』(1739)『男作五雁金(おとこだていつつかりがね)』(1742)などを残しています。
 異類交婚譚として著名な「信太妻(しのだづま)」の伝承は17世紀後半からしばしば浄瑠璃や歌舞伎に取り上げられてきましたが、本作はそれらを集大成した作品です。秘伝書『金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)』をめぐる安倍保名(あべのやすな)と蘆屋道満(みちたる)(作中で読みを「どうまん」に変更)の対立を主筋とし、保名に助けられた白狐(びゃっこ)が許嫁(いいなずけ)葛(くず)の葉(は)姫の姿を借りて契りを交わし一子をもうける、という安倍晴明(せいめい)の出生譚を絡めています。初演時、4段目切に登場した2人の奴が人形の三人遣いの初めになったということでも有名です。
 中心場面は初段切「加茂館(かもやかた)」2段目切「和泉信太森(いずみしのだのもり)」3段目切「蘆屋館」4段目切「和泉信太森」なのですが、竹本大和掾が語って以来4段目口「安倍野保名住家」すなわち「葛の葉子別れ」が人気曲となり、切場の「信田森二人奴」までを通す4段目だけの上演が多くなりました。当劇場での上演は過去に4回ありますが、うち3回が「半通し」の形です。
  昭和59(1984)年「三人遣い創始250年(ということは初演から250年)」を記念して「大内」(大序(だいじょ))と「加茂館」が復活、「保名物狂い」(2段目中・切)も37年ぶりに上演された結果、国立劇場(8月)と当劇場(9~10月)で148年ぶりの通し上演(実は「半通し」)となりました。その後、平成8(1996)年4月の半通しでは「蘭菊の乱れ」が、平成21(2009)年11月の半通しでは「信田森二人奴」が出ませんでした。その間の平成13(2001)年4月には「葛の葉子別れ」と「信田森二人奴」のみ上演されました。したがって「葛の葉子別れ」は9年ぶり、「信田森二人奴」および今回の形の上演は17年7か月ぶりとなります。
 (F.T.)
桂川連理柵 
 解説
 題材となったお半・長右衛門の事件は宝暦11(1761)年4月のこととされ、早くもその翌5月曾根崎新地芝居・豊竹座の『おはつ徳兵衛曾根崎模様』に「38歳の男と14歳の少女の心中事件」が現れます。若竹笛躬・中邑阿契らが『曾根崎心中』のお初徳兵衛の本筋にお半長右衛門を絡ませたのです。その後、お半長右衛門部分だけが『桂川の心中』と題して数回上演された後、菅専助が独立のお半長右衛門物として作りあげたのが本作で、安永5(1776)年10月大坂・北堀江市の側芝居初演、上下2巻の世話物です。
 当劇場本公演での上演は過去7回と屈指の人気狂言です。上演時間がどれだけとれるかで今回のような2つの段+道行の場合と、これに「石部宿屋」が加えられる場合とがあって、「石部宿屋」があるほうが5回でした。場割が今回と同じだった前回平成24(2012)年4月から6年7か月ぶりの登場です。
 (F.T.)
 ひばり山姫捨松  「ひばり」は「庚」+「鳥」
 解説
 並木宗輔作、元文5(1740)年2月豊竹座初演、全5段の時代物です。
 作者並木宗輔(1695~1751)は初名宗助、もと備後(びんご)三原の臨済宗寺院成就寺(じょうじゅじ)の僧で、還俗(げんぞく)して豊竹座に入った人です。享保10(1725)年10月の『大仏殿万代石楚(ばんだいのいしずえ)』(『嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)』の原作)を最後に退座した脇作者田中千柳の補充として座本豊竹上野少掾(こうずけのしょうじょう)(おもと若太夫。のち越前少掾を再受領)は安田蛙文(あぶん)と宗助を入座させ、立作者西沢一風を中心に合作させたのが享保11(1726)年4月の『北条時頼記(ほうじょうじらいき)』でした。この作が大当りをとりましたので、上野少掾は一風を引退させて宗助を立作者としました。宗助が立作者の期間は次の3つに分けられます。第1は享保12(1727)年から17(1732)年までの安田蛙文を脇作者とした時期でこの間の作品には『清和源氏十五段』『摂津国長柄人柱(つのくにながらのひとばしら)』(以上1727)『南都十三鐘』(1728)『蒲冠者藤戸合戦(かばのかじゃふじとかっせん)』(1730)『忠臣金短冊(こがねのたんざく)』(1732)などがあります。第2は享保18(1733)年から20(1735)年までで、門人並木丈助を脇作者として『那須与市西海硯(なすのよいちさいかいすずり)』(1734)『南蛮鉄後藤目貫(ごとうのめぬき)』『刈萱桑門筑紫𨏍(かるかやどうしんつくしのいえづと)』(以上1735)などを世に送りました。第3は元文元(1736)年から5(1740)年までの単独作ばかりの時期で、『和田合戦女舞鶴』(1736)『釜淵双級巴(かまがふちふたつどもえ)』(1737)『奥州秀衡有髪壻(うはつのはなむこ)』(1739)などがあります。宗輔は寛保2(1742)年9月限りで豊竹座を辞して歌舞伎作者に転向、寛保2年11月から3(1743)年9月は岩井半四郎座・3年11月から延享元(1744)年9月は中村十蔵座の立作者でした。おそらく同年の顔見世から竹本座に入り、千柳と改名することになります。
  本作は横萩家の家督をめぐる岩根御前の継子(ままこ)いじめと當麻寺(たいまでら)の曼荼羅(まんだら)縁起という中将姫(ちゅうじょうひめ)にまつわる話を、皇位継承をめぐる長屋王子の陰謀にからめて展開します。謡曲『雲雀山』『當麻』、先行の浄瑠璃『當麻中将姫』などから脚色したものです。登場人物には実在の人物が多いのですが、史実通りでないことは他の作品と同様です。たとえば、「長屋王の変」は729年、「藤原広嗣の乱」は、740年、玄昉の失脚は745年で、いずれも藤原豊成が右大臣に就任する749年より以前の事件です。また、この作品で称徳天皇が位を譲ろうとする大炊王(おおいのおう)は史実では757年に孝謙天皇(称徳天皇は重祚時の諡号)の皇太子になります(758年に即位して淳仁(じゅんにん)天皇)が、この作品の設定のように塩焼王の子ではなく、父は舎人(とねり)親王です。
 宗輔が作劇の参考にしたのは次の事件でしょう。
 天平宝字(てんぴょうほうじ)元(757)年4月、聖武(しょうむ)天皇により孝謙天皇の皇太子と定められていた道祖王(ふなどのおう)(父は天武天皇の皇子・新田部(にいたべ)親王)が、藤原仲麻呂らにより素行に難点ありとして廃された。右大臣藤原豊成(とよなり)は道祖王の兄塩焼(しおやき)王を立てようとしたが、弟仲麻呂が推す大炊王が皇太子となった。参議・左大弁橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)は道祖王・塩焼王らと仲麻呂殺害・政権奪取をはかったが、7月に発覚、捕らえられた(橘奈良麻呂の変)。この時豊成も連座して大宰員外帥(だざいのいんがいのそち)に左遷された。翌年8月、大炊王は孝謙天皇の譲位を承けて即位(淳仁天皇)、仲麻呂に恵美押勝(えみのおしかつ)の名を与えて大保(右大臣に相当)とし、仲麻呂の権勢は頂点に達した。
 中心場面は初段切「長屋王子館」・2段目切淡路島「磯太夫住家」・3段目切「豊成館(雪責め)」・4段目切「庚鳥山隠れ家」ですが、現在行われるのは3段目切だけです。当劇場では平成4(1992)年1月、15(2003)年1月、平成23(2011)年1月に続き4回目、7年10カ月ぶりの登場です。
 (F.T.)
 女殺油地獄
 解説
 享保6(1721)年7月竹本座初演、近松門左衛門作、3巻の世話物です。同年5月に起こった事件を脚色したものですが、他作に見られるような悲劇的カタルシスがないため一般受けせず、江戸期には再演されることがありませんでした。明治になって坪内逍遥の近松研究会(明治27-1894年開始)で高く評価されたことから注目を浴びるようになり、明治40(1907)年東京・三崎座の女芝居で上演されたのを皮切りに、戦前は2世實川延若・13世守田勘彌・2世市川猿之助らが上演、戦後はさらに多くの俳優が演じるようになりました。文楽ではまず昭和27(1952)年、NHKのラジオ放送で下の巻「豊島屋油店の段」が竹本綱太夫・竹澤彌七の作曲・演奏で素浄瑠璃として復活され、10年後の昭和37(1962)年4月道頓堀文楽座で上の巻「徳庵堤の段」中の巻「河内屋内の段」を加えて初演以来241年ぶりに人形浄瑠璃として上演されました。さらに20年後の昭和57(1982)年2月国立劇場小劇場で下の巻「逮夜の段」を鶴澤燕三作曲で復活されています。
 当劇場本公演での上演は過去5回で平均的な頻度です。このうち「逮夜」がついたのが2回、つかなかったのが3回。今回は「逮夜」がついた前回から4年4カ月ぶり、つかなかった前々回から7年7か月ぶりの登場となります。
 (F.T)
首の名前
 役名 かしら名 
蘆屋道満大内鑑
女房葛の葉 老女方
安倍童子 男子役
木綿買い実は荏柄段八 端敵
信田庄司
庄司の妻
葛の葉姫
安倍保名  源太
信楽雲蔵  端敵
落合藤治  端敵
石川悪右衛門  鬼若
奴野干平  与勘平
奴与勘平  与勘平
 桂川連理柵
女房お絹  老女方 
弟儀兵衛 手代
丁稚長吉 丁稚
母おとせ 悪婆
帯屋長右衛門  検非違使
親繁斎  定之進
娘お半 
 
  
ひばり山姫捨松 
浮舟 老女方
桐の谷 老女方
岩根御前 八汐
奴角内  端敵
奴宅内 端役
大弐広嗣 陀羅助
中将姫 
父豊成卿  孔明
女殺油地獄 
女房お吉 老女方
姉娘お清 女子役
茶屋の亭主 端役
河内屋与兵衛  源太
刷毛の弥五郎 端敵
皆朱の善兵衛 端役
天王寺屋小菊
天王寺屋花車 老女方
会津の大尽蠟九 与勘平
小栗八弥 若男
山本森右衛門 
豊島屋七左衛門  検非違使
山上講先達  端役
河内屋徳兵衛  武氏
徳兵衛女房お沢 
河内屋太兵衛  検非違使
稲荷法印  三枚目
妹おかち 
中娘  女子役
綿屋小兵衛  陀羅助
 






 
衣裳
蘆屋道満大内鑑
女房葛の葉  紫紺紗綾形綸子花霞染金糸縫着付(しこんさやがたりんずはなかすみぞめきんしぬいきつけ)
白羽二重絹糸毛縫着付・文庫帯(しろはぶたえきぬいとけぬいきつけ・ぶんこおび)

奴野干平  黒繻子金菖蒲革台付奴着付(くろしゅすきんしょうぶかわだいつけやっこきつけ)
奴与勘平  黒繻子金菖蒲革台付奴着付(くろしゅすきんしょうぶかわだいつけやっこきつけ)
桂川連理柵
 (帯屋の段)
女房お絹  鼡納戸縮緬麻の葉小紋黒衿掛着付(ねずみなんどちりめんあさのはこもんくろえりかけきつけ)
帯屋長右衛門  御召縞着付・羽織(おめしじまきつけ・はおり)
娘お半  縮緬浅葱赤段鹿子麻の葉紋様振袖・着付(ちりめんあさぎあかだんかのこあさのはもんようふりそで・きつけ)
ひばり山姫捨松
中将姫  赤花紗綾形綸子芝垣花繍振袖着付(あかはなさやがたりんずしばがきはなぬいふりそできつけ)
鴇羽二重振袖着付(ときはぶたえふりそできつけ)

女殺油地獄
女房お吉  消炭色縮緬竹笹小紋黒衿掛着付(けしずみいろちりめんたけささこもんくろえりかけきつけ)
河内屋与兵衛  紺地紬網代丹前(こんぢつむぎあじろたんぜん)
 



資料提供:国立文楽劇場文楽技術室衣裳担当
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