日高川入相花王 
 解説
 『今昔(こんじゃく)物語』 『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』 『道成寺縁起(どうじょうじえんぎ)』を原拠とする安珍清姫(あんちんきよひめ)伝説の劇化では、寛保2(1742)年8月大坂・豊竹座初演の浅田一鳥・並木宗輔合作『道成寺現在蛇鱗(うろこ)』が完成されたものですが、本作はこれを粉本(ふんぽん)として竹田小出雲・近松半二ほかが合作、宝暦9(1759)年2月竹本座で初演されました。皇位簒奪(さんだつ)を狙う左大臣藤原忠文(ただぶん)一味にたちむかう皇弟桜木親王(さくらぎのしんのう)らの辛苦を主筋とし、平将門(まさかど)の遺志を継いで天下を狙う伊予守(いよのかみ)藤原純友(すみとも)の反逆と挫折を絡めており、中心場面は初段切「実頼館」・2段目切「奥州錦木塚」・3段目切「播磨国四十次住家」・4段目切「紀州道成寺」となっています。安珍清姫伝説は4段目に取り入れられています。熊野の真那古庄司清次(まなごのしょうじきよつぐ)の一人娘清姫は、都見物に上った折に奥州へ落ちて行く桜木親王とすれ違って恋心を抱きます(2段目口「深草狼谷(おおかみだに)」)が、熊野詣(くまのもうで)の山伏(やまぶし)安珍に身をやつした親王が庄司の家に立ち寄ったため再会を果たします。これより先、親王と契りを交わしたおだ巻姫も夫の行方を尋ねてこの館に逗留しており、図らずも落ち合った親王と共に道成寺へ逃れます(口「真那古庄司館」)。逃げゆく親王とおだ巻姫、後を追う清姫、というのが「道行思ひの雪吹(ふぶき)」で、切「道成寺」につながるわけですが、かなり早くから道行の後半部分である「渡し場」だけが上演されることになり、上演のたびに『現在蛇鱗』の詞章が取り入れられて『入相花王』の該当部分とはかなり違ってきている、とのことです。開場以来4年に1回以上の頻度で上演という人気曲。今回は平成28(2016)年11月から2年8か月ぶり、通算10回目の登場です。 
 (F.T.)
 
かみなり太鼓 
 解説
落語作家・小佐田(おさだ)定雄氏が平成26(2014)年夏休み特別公演のために書き下ろされた新作文楽で、5年ぶり2度目の上演です。 
 (F.T.)
 
 
 解説
 本作の各段が「5段組織」のどこに相当するのかについては古来いろいろな説がありますが、私は (1)大序から3段目までが初段で3段目の「関東管領御殿」が初段切 (2)4段目が2段目で「塩冶判官館」が2段目切 (3)5・6段目が3段目で「与市兵衛住家」が3段目切 (4)8段目が4段目冒頭の道行で9段目が4段目切 (5)10・11段目が5段目で11段目が5段目切 とみていいのではないか、と考えています。ただし、初演時、いつもは3段目切を語る此太夫が9段目、4段目切の嶋太夫が6段目を語っています。作者や興行側が、全編を通じての主人公である由良助の大星家と対応する本蔵の加古川家の両家の悲劇を描く9段目がもっとも重要、と考えたからのことでしょう。7段目は初演時から太夫陣の「惣掛け合い」(7人のうち6段目を語った嶋太夫を除く6人が出演)で演じられる派手な場面。4段目から6段目まで続く重苦しい空気を切り替えるための「特別版」なのではないでしょうか。
 今回の5・6段目は陰暦6月の月末ですからグレゴリウス暦では8月10日前後の盛夏。夏休み公演に季節感がぴったりですが、7段目は5段目で身売りしたおかるが「はや里なれ」たころ。「鶏しめさせ鍋焼させん」「爐の炭もついでおきや」などのセリフを見ると、晩秋から初冬と思われ、むしろ錦秋公演のほうがふさわしいのです。
 (F.T.)
 
国言詢音頭 
 解説
 元文2(1737)年7月3日未明、薩摩藩士早田八右衛門(42歳)が曾根崎新地の呼屋(よびや)・大和屋十兵衛方で桜風呂の遊女菊野(22歳)ら5人を斬り殺し、そのまま船で薩摩に帰国しましたが、大坂に召喚され、犯行を自白したので翌年千日前刑場で打ち首・獄門となりました。最初の劇化は菅専助ら作の浄瑠璃『置土産今織上布(おきみやげいまおりじょうふ)』で、安永6(1777)年5月北堀江市の側芝居・豊竹此吉座初演。本作はそれに次ぐもので、天明8(1788)年5月大坂北之新地芝居・竹本染太夫座初演の3巻の世話物(作者不詳)です。大正7(1918)年6月の御霊文楽座を最後に上演が絶えていたのを、7世竹本住太夫(当時は竹本文字大夫)が昭和53(1978)年8月の国立劇場で60年ぶりに復活されて以来、オハコにしておられました。当劇場では今月がまだ4回目。12年に1回ですから稀曲と言えます。
  なお、本作は初演と同年の8月に同じ北之新地芝居・坂東岩吉座で上演されており、これが歌舞伎での「五人切物」の嚆矢のようです。初世並木五瓶は寛政4(1792)年4月道頓堀中の芝居『五人切五十年廻(ごにんぎりごじゅうねんき)』で初めてこの題材を扱い、同6(1794)年2月中の芝居『島廻戯聞書(しまめぐりうそのききがき)』にも五人切を組み込みましたが、同年5月京・西の芝居でこの狂言の五人切の部分のみを独立させたときに『五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)』という外題をつけました。以後歌舞伎で「五大力物」の系譜ができてゆくことになります。
 (F.T.)
 
首の名前
 役名 かしら名 
 日高川入相花王
清姫 角出しのガブ
船頭 三枚目
 
 かみなり太鼓
寅ちゃん 男子役
おかあちゃん 老女方
おとうちゃん 端役
かみなりトロ吉 端敵
 
 
早野勘平 源太
千崎弥五郎 源太
百姓与市兵衛 武氏
斧定九郎  文七
女房おかる 
与市兵衛女房 
一文字屋才兵衛  又平
めっぽう弥八  端役
種ヶ島の六  端役 
狸の角兵衛  端役
原郷右衛門 
斧九太夫  虎王 
鷺坂伴内 伴内
一力亭主 端役
矢間十太郎 検非違使
竹森喜多八  陀羅助
大星由良助 孔明
寺岡平右衛門 検非違使
大星力弥 若男
遊女おかる
 国言詢音頭
桜風呂の菊野
仲居お岸 お福
小女郎 女子役
若党伊平太 検非違使
八柴初右衛門 文七
絵屋仁三郎 源太
太鼓持忠七 端役
船頭 男つめ
大重の亭主  手代
弟源之助 若男
迎いの奴 端敵
許婚おみす
悪者武助 梨割り
 
 








 
衣裳
 日高川入相花王
清姫 黒縮緬流水蛇籠裾繍振袖着付(くろちりめんりゅうすいじゃかごすそぬいふりそできつけ)
白羽二重鱗銀摺箔振袖着付(しろはぶたえうろこぎんすりはくふりそできつけ)
仮名手本忠臣蔵
早野勘平
(五段目・山崎街道出合いの段)
黒木綿鼠縞藍小紋肩入着付(くろもめんねずみしまあいこもんかたいれきつけ)
鼠木綿黒横段軽衫(ねずみもめんくろよこだんかるさん)
早野勘平
(六段目・身売りの段)
黒羽二重着付(くろはぶたえきつけ)
鷺坂伴内
(七段目・祇園一力茶屋の段)
紬黄八丈格子染着付(つむぎきはちじょうこうしそめきつけ)
おかる
(七段目・祇園一力茶屋の段)
納戸縮緬江戸解友禅赤縮緬平金散し胴抜着付(なんどちりめんえどどきゆうぜんあかちりめんひらきんちらしどうぬききつけ)
大星力弥
(七段目・祇園一力茶屋の段)
黒縮緬中振袖着付(くろちりめんちゅうふりそできつけ)
納戸献上博多割帯(なんどけんじょうはかたわりおび)
原郷右衛門
(六段目・勘平腹切の段)
茄子紺羽二重半腰(なすこんはぶたえはんごし)
大星由良助
(七段目・祇園一力茶屋の段)
紫縮緬着付(むらさきちりめんきつけ)。紫縮緬羽織(むらさきちりめんはおり)
黒縮緬着付(くろちりめんきつけ)
国言詢音頭
八柴初右衛門 黒麻十絣白抜染単衣着付(くろあさじゅうがすりしろぬきぞめひとえきつけ)
 



資料提供:国立文楽劇場文楽技術室衣裳担当
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