文楽スポット
夏休み特別公演に合わせて、「心中宵庚申」ゆかりの地の散策をしました。

 6月の晴れた日曜日の午後。思いつきの散策
です。国立文楽劇場から東へ千日前通りを15分
ほど。少し登り坂。現在の上汐町2丁目、1丁目あ
たりを北の方へ。一筋一筋をくまなくきょろきょろ
歩いてみました。

 当時(1722.4.6)上塩町西5丁目(現上汐町)に
「東大寺大仏殿の勧進所。生玉馬場先」というとこ
ろがあって、お千代半兵衛が心中したところです。
それらしいところは見つけられませんでした。その
まま西に歩いて谷町筋にでました。

 この浄瑠璃は、近松門左衛門が書き下ろした最後の世話物といわれているので、谷町8丁目にあるお墓にお参りしました。今は小さな敷地になっているのですが、以前は法妙寺の境内でした。


  
  ■  ■  ■  ■  ■

 そのまま、谷町筋を南下。谷町9丁目を過ぎ、生国魂神社内の浄瑠璃神社へ。沢山の人形浄瑠璃縁者の魂に「どうか文楽が発展するように見守ってください」と願い手を合わせました。それから公園をはさんで直ぐ南の銀山寺。

 ココには、お千代半兵衛とお腹の子供のお墓があります。数年前に訪れたときより、随分とキレイに屋根付きの墓所になっていました。
 同寺には吉田玉男さんのお墓にもあり、お参りしました。墓前にはいつも新しいお花が飾られています。

国立文楽劇場から10分足らずでお参りできますよ。

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地下鉄日本橋駅から阿波座駅へ。

 見知らぬ町にはいつもワクワクします。降りても方角さえ解らず、取りあえず北に向かって歩いてみました。

 道の角、角に制服警官が数人ずつ立っていました。何々?何か事件でもあったんやろか。興味は沸くけど、先ずは靱公園。そうだ、「新靱油掛町八百屋」だった、 靱の地名に喜んで公園の内に入ってみました。

 東西に長い公園です。散歩されたりテニスコートがあったり。なにわ筋を渡って、東の方の公園に。盛りが過ぎたバラ園。よい香りを味わいながら「もう痕跡すらないんかな」と諦めかかていたら、「あ、この碑は何?」「永代浜跡って何?」「永代浜碑」(西区靱本町2丁目)がすっくと立っていました。

ここが新靱油掛町八百屋?

阿波座北側一筋内の丁?

西横堀一丁西入る?

この辺りなんだろか。八百屋半兵衛さんちは?


  ともかくもぶらぶら3時間。もう少し、古地図や文献調べてから出掛けて いたらと思いましたが、あてずっぽう でも結構たのしかったです。(H)
 (2011.7.20)


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

【後記】
文久3年(1863)の古地図(太陽コレクション 江戸明治現代の特別付録 1977 発行)に勧進所が有りました。
                         


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