演目ゆかりのすぽっと    
 
『ひばり山姫捨松』  (「ひばり」は「庚」+「鳥」)
 2018年10月3日、団員3人で中将姫のゆかりの地巡りに出かけました。
  このところ毎週のようにやってくる台風・・・。今回の計画もどうなるかと思案しておりましたが、幸運にも秋晴れの心地よい一日に恵まれることができました。
  時々香ってくる金木犀のさわやかな匂いとともに、初秋の奈良を満喫いたしました。 ここで、中将姫の生い立ちを簡単に説明いたします。(諸説あります。)
  747年 誕生寺において、藤原不比等の孫であった右大臣藤原豊成と紫の前の間に生まれる。
      高林寺で成長。
 5歳   実母が他界。
 7歳   照代の前が継母となる。
      継母からの酷い折檻を受ける。(徳融寺での松の木が有名。)
 10歳  継母が姫を暗殺しようと企てたが、誤って義弟が命を落としてしまう。
 13歳  三位中将の位を持つ内侍となる。
 14歳  継母が日張山での姫の暗殺を計画するが、結局命を留め、乳母(松井嘉籐太の妻)と共に隠れ住む。
 15歳  実父豊成と再会し、奈良市の屋敷へ戻る。
 16歳  女人禁制だった當麻寺に出家。尼となる。
 26歳  長谷観音のお告げにより、一夜で『當麻曼荼羅』を織り上げる。
 29歳  生きたまま西方極楽浄土へ向かったとされる。  

  今回は當麻寺門前の釜飯をいただきたく、時間の都合上、生い立ちとは逆のルートを辿ることとなりました。  公共交通ではなく、自家用車を使用して訪ねております。 国立文楽劇場から、阪神高速道路・近畿自動車道・西名阪自動車道を通り、まずは石光寺に到着しました。
 
<石光寺(せっこうじ)> 
 奈良県葛城市染野387
  近鉄南大阪線「二上神社口駅」下車、徒歩約15分
  西名阪自動車道柏原ICから約15分
  南阪奈道路葛城ICから約10分
 花の寺として有名な寺院です。
 中将姫が曼荼羅を織る際に使った蓮糸を染めた井戸、染めあがった糸をかけた桜の木などがあります。
 『中将姫は當麻寺にこもるうち霊感を得て蓮の茎を集め、糸を採り出した。 そして石光寺の庭に井戸を掘り、糸を浸したところ五色に染まった。 それが染の井で、傍らの桜の枝にかけたのが糸掛け桜。中将姫はその蓮糸で一夜のうちに当麻曼茶羅を織りあげたという伝説がある。(石光寺HPより)』

石光寺

石光寺本堂
 
石光寺の瓦
 
染の井
 
 
 石光寺を出て、當麻寺方面に向かって歩いて行くと 當麻北共同墓地があります。 その一角に中将姫の墓塔があります。
<中将姫の墓塔>
 奈良県葛城市當麻
  近鉄南大阪線「当麻寺駅」下車、徒歩約20分
  南阪奈道路葛城ICから約10分  
 
 石造十三重塔花崗岩製で、鎌倉時代末期の様式、高さは285cmです。
 横に建つ石造三重塔は、平安時代後期の作で、高さは156cmです。
 當麻北共同墓地の東側入口通路に、慕塔の案内標柱も建てられています。
 (中将姫の墓は、ならまちの徳融寺の境内にもあります。)
 
  
中将姫の墓塔
 
 それでは、當麻寺に向かいましょう。
 當麻寺には本堂・金堂・講堂・東西両塔などの伽藍があり、5つの塔頭寺院が年交替で守護するかたちをとっています。
 今年の当番は「中之坊」です。
 
<當麻寺><中之坊> 
 奈良県葛城市當麻1263
  近鉄南大阪線「当麻寺駅」下車、徒歩約15分
  南阪奈道路葛城ICから約10分
 當麻寺は、もともとは聖徳太子の弟・麻呂子親王が612年に河内国につくられたという禅林寺を、681年に役行者開創のこの場所に移されたものと伝えられています。
 現在では、中将姫が蓮糸で織り表したという當麻曼荼羅が有名で、多くの仏像とともに大切に祀られています。
 また、創建当時の東西両塔(国宝)が揃って残っているのは當麻寺のみです。

 中之坊塔頭は當麻寺最古の塔頭で、中将姫が剃髪した寺院です。
 剃髪堂や、誓いの石(中将姫の足跡)などが伝わっています。
 中将姫は女人禁制だった當麻寺で修業をしたいと願うべく、門前の石の上で一心に読経を行いました。その際に石に足跡がきざまれたと言われています。


仁王門

本堂
 
中之坊

中将姫像

誓いの石
 
 當麻寺を満喫した後は、仁王門を出たところにある釜めし「玉や」でお昼ご飯をいただきます。  こちらは注文を受けてから炊き上げますので、30分ぐらい余裕をみてから伺うといいかと思います。予約も受け付けていただけます。
 4種類から釜めしを選ぶことができ、江戸中期に建てられた旧旅籠の重厚な建物のなかで、ゆったりとした時間を過ごせます。

 
門前の釜めし屋で
<釜めし・玉や> 
 奈良県葛城市當麻1242
 近鉄南大阪線「当麻寺駅」下車、徒歩約15分   
 南阪奈道路葛城ICから約10分
 お腹も満たされたところで、日張山に向かって出発です…。
 途中、近鉄當麻寺駅前で中将餅をお土産に買いましょう
 
<中将堂本舗> 
 奈良県葛城市當麻55-1
 近鉄南大阪線「當麻寺駅」下車、徒歩約1分   
 南阪奈道路葛城ICから約10分
 
中将堂本舗
   
 
 車に揺られ、約1時間。途中からは、車がすれ違うことができないほどの狭い急斜面の道を上りきると、日張山青蓮寺が見えてきます。

 中将姫が捨てられたと伝わるヒバリ山ですが、和歌山県有田市糸我町・雲雀山や橋本市恋野・雲雀山にも中将姫にまつわる言い伝えが残されています。
 また、浄瑠璃の「鶊」山は、外題の字数を奇数にするために使われたといわれています。

 ツムラの創業者・津村重舎は大和国宇陀郡出身で、青蓮寺の檀家であり、母親の実家の藤村家に、逃亡中の中将姫をかくまったお礼に製法を教えられた薬(中将湯)が、代々伝えられていたそうです。
 
<日張山青蓮寺> 
 奈良県宇陀郡菟田野町宇賀志
 近鉄大阪線榛原駅下車、奈良交通バス菟田野町行終点下車、徒歩約4キロ余り
 (車)當麻寺より大和高田パイパス・国道166号線を使い、約1時間15分
 宇陀市にある尼寺。
 中将姫が14歳の時に この地に配流させられましたが、家臣であった松井嘉籐太夫妻とともに草庵を結び、ひたすら念仏三昧の生活を送ります。
 父豊成卿と再会し奈良に帰館されましたが、19歳の夏に再度この地に訪れ、一宇の堂を建立して日張山青蓮寺と名付けたそうです。

 世阿弥の謡曲「雲雀山」の舞台で、中将姫の画像や彫像、曼陀羅図などが残っています。
  また、境内には松井嘉籐太夫妻の墓もあります。
 近くの川の流れが聞こえるほど静かな青蓮寺。しばし満喫いたしました。
  中将姫も同じ音を聞いて過ごしていたのかもしれません。


青蓮字山門
 
本堂

松井嘉籐太夫妻の墓


 奥深い山を下りて、奈良市内に向かいます。
 かつて父豊成卿の広大な邸宅があった跡に、いくつか寺院が残されています。
 最後にそこを訪れてみましょう。
 
<誕生寺> 
 奈良市三棟町2
  市内循環バス「北京終町」下車、徒歩5分
 浄土宗の尼寺で、中将姫の生誕地という意味で誕生寺の名がつきました。
 境内には中将姫の産湯に使ったという誕生の井戸もあり、井戸端に江戸時代の二十五菩薩石仏が並んでいます。
 中将姫・豊成・紫の前(生母)の御殿が並置されたことから三棟殿とも称されています。
<徳融寺> 
 奈良市鳴川町25
  市内循環バス「北京終町」下車、徒歩約6分
 本尊の阿弥陀如来立像(鎌倉時代)は北条政子の念持仏であったと伝えられています。父豊成卿と中将姫の供養塔という二基の宝篋印塔があります。
 また、昭和49年頃までは「雪責の松」の切株が存在していたといわれ、今日ではそれを示す立札が残っています。

誕生寺

誕生寺碑
 
徳融寺

徳融寺印塔


<高林寺> 
 奈良市井上町32
  市内循環バス「田中町」「北京終町」下車、徒歩5分
 奈良時代、父豊成卿の屋敷跡に建てられた尼寺で、中将姫はここで成人し、當麻寺に入って出家し、法如尼となりました。
 豊成卿は死後この地に葬られ、藤原家の興隆を祈って高林寺と名付けられたそうです。
 平重衡の南都焼き討ちで焼失しましたが再興、境内の豊成卿の廟塔(墳墓)を守って今日に至っています。

光林寺
 
豊成卿の廟塔
<安養寺> 
 奈良市鳴川町29
  市内循環バス「北京終町」下車、徒歩約6分
 徳融寺の隣にあります。中将姫が出家して開創したと伝わっています。
 
安養寺
 以上の4つの寺院は、歩いて5分かからないほど狭い範囲内にあります。
 住職が在中しておられるとは限りませんので、連絡してから伺うことをお勧めいたします。

 車の場合…
 青蓮寺からは、県道80号線経由・国道165号線経由・名阪国道経由で、どれも約1時間15分くらいかかります。
 
 今回は、弾丸で中将姫の生涯ゆかりの地を巡りました。
これから紅葉の美しい時期です。静かな奈良に足を運んでみてはいかがでしょうか。 (SN)
 
 
 
 
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