演目ゆかりのすぽっと  
 『妹背山婦女庭訓』
 初段・二段目
  二段目「猿沢池の段」の猿沢池は、みなさんよくご存じの奈良名所の一つで、興福寺の南にある小さな池です。公演前の2016年3月の月末近くの平日に、奈良公園を訪れました。近鉄難波駅から急行奈良行きに乗って約45分で近鉄奈良駅に到着です。
 先頭方面の改札口を出ると、「東向商店街」があります。そこを右に折れて、商店街を突き進んだところが「三条通り」。左に折れて進むとすぐ目の前に「猿沢池」が見えてきます。池のすぐ右手に鎮座しているのが春日大社末社の「采女神社」です。御祭神は采女命で、奈良時代天皇の寵愛が薄れたことを嘆いた采女が、猿沢池に身を投げ、その霊を慰めるために祀られたのが采女神社の起こりとされています。入水した池を見るのは忍びないと、一夜のうちに御殿が池に背を向けたと伝えられています。毎年、旧暦の8月15日、新暦では9月の中秋の名月の日に采女祭が催され、二隻の管弦船が池を巡ります。有料で特別乗船もできるそうですよ。是非体験してみたいです。
 猿沢池を挟んで采女神社の対岸には、采女が入水前に着ていた衣服を掛けたという「衣掛柳」の跡があります。 
 
 
近鉄奈良駅

東向商店街

三条通り

采女神社 

 衣掛柳
 
 
 衣掛柳の左手にあるある幅の広い石段の右の坂道を登り春日大社の鳥居方向(東)へしばらくすすむと、右手の土塀沿いに「傳説三作石子詰之跡」と墨書された木標が立っています。ここは興福寺の菩提院大御堂です。小さな開き戸を開けて中に入ると、「猿沢池の段」に続く「鹿殺しの段」の主題となっている石子詰めの悲話にある「三作塚」があります。春日神鹿をあやまって殺傷した少年三作を石子詰の刑に処したと伝承される塚です。
 このあたりでお腹も空いてきたので、十三鐘のやや左の辻を進んだところにある「塔の茶屋」で昼食を取ろうと向かいました。11時30分からの営業でぴったりの時間でした。有名な奈良の茶粥弁当をいただきました。

 初段「小松原の段」は、冒頭に「春日野の社頭に近き小松原…」とあるので、足を延ばして春日大社へお詣りすることにしました。タクシーを拾おうと県庁前の大通りへでましたが、なかなか拾えなくて、ぼちぼち歩いて向かいました。右手に奈良国立博物館を見て進んでいくと、「鴎外の門」がありました。作家としても有名な森鴎外が、「帝国博物館総長」として奈良に滞在した際の宿舎がこの場所にあったそうで、建物はすでに取り壊され、門だけが残されているとのことでした。
 
菩提院大御堂

三作塚

茶粥弁当

鴎外の門 

 
 
 
 春日大社参道の案内に従って歩いていくと、朱塗りの二の鳥居が見えてきます。長い参道を進み南門より入ります。 折角来たので、初穂料500円で御本殿の特別参拝をさせていただきました。禁足地として入山が厳しく制限されている御蓋山浮雲峰遥拝所や数限りない燈籠が吊るされた回廊などを巡り、遥かなる時代へ想いを馳せて参りました
 参詣後は、ささやきの小道を通り新薬師寺へ詣り、なら町でお土産を買いこんで帰途につきました。(SK)
 
春日大社参道

二の鳥居

南門

御本殿 

回廊 
   
 
  三段目
 春分の日を3日後に控えた2016(平成28)年3月17日(木)、NPO法人人形浄瑠璃文楽座主催の「4月文楽公演『妹背山婦女庭訓』ゆかりの地をめぐるバスツアー」に参加しました。公演で後室定高と藤原鎌足を遣われる吉田和生師匠と早稲田大学文学部の児玉竜一教授が同行し、行き帰りのバスの中で大変興味深いお話も聞かせていただきましたが、それらは全て割愛させていただき、以下、あくまでも「ゆかりの地」の話題に限定してご案内させていただきます。

【妹山・背山、大名持(おおなもち)神社】
 9時に国立文楽劇場からバスで出発し、10時20分に吉野町中央公民館に到着。吉野町役場の西隣です。電車で行くとすれば、近鉄の大阪阿部野橋駅から特急で1時間少々の大和上市駅で下車し、そこから東に15分ほどでしょうか。吉野川に沿って北側に国道169号線が走っていますが、交通量が多いので、国道から1本北に入った旧道を歩くのがいいでしょう。町民の足の「スマイルバス」が国道を走っており、「上市駅」から「吉野町役場前」まで3分ですが、平日は1時間に1本程度で土日は1日4、5本ですので、歩いた方が早い気がします(路線図・時刻表は吉野町ウェブサイトまで)。
 吉野町中央公民館で、吉野歴史資料館の池田淳館長から「『妹背山婦女庭訓』の舞台「妹山」と背山」」と題するレクチャーを1時間ほど。妹山と背山が『妹背山婦女庭訓』の舞台となった理由として、このあたりが俗世とあの世の境界と考えられていたからではないかという観点から、多方面にわたって論じていただきました。  続いて散策。吉野町中央公民館から10分ほど東に歩くと、国道との合流地点に出ます。そこから車に気を付けて国道を渡り、狭い階段から吉野川の河原に下りると、中央に吉野川をはさんで、左手に妹山、右手に背山と、まさに「妹山背山の段」の舞台。ただし、妹山は独立した山ですが、背山は独立した山ではなく尾根の先であり、「吉野川をはさんで妹山と背山」の風景はこのあたりからならではとのことです。また、「定高が領分大和の妹山。清澄が領地紀伊国背山」との『妹背山婦女庭訓』の設定とは異なり、妹山も背山も大和国(奈良県)に属します。スマイルバスの停留所だと、「轟」と「立野」の中間あたりになります。  
 しばらく河原沿いの道を歩いてから坂道を上って国道に戻り、さらに北側の旧道を歩くと10分ほどで大名持神社に到着します。この裏が妹山で、縄文時代から伝わる照葉樹の樹叢は天然記念物に指定されています。大名持神社は、大和国では春日大社に次いで2番目に正一位に叙せられた極めて神階の高い名神とのことです。  
 
吉野町役場

吉野川をはさんで、
左手に妹山、右手に背山

大名持神社鳥居前
  大名持神社  
         
 大名持神社から20分ほど歩いて吉野町中央公民館に戻り、平宗(ひらそう)の柿の葉寿司で昼食をいただきました。ちなみに吉野町中央公民館から吉野川を渡った対岸に平宗本店があります。 
 
 
昼食
 
     
【淡海公十三重塔と談山(たんざん)神社】  13時35分にバスで出発し、20分ほどで多武峰(とうのみね)第1駐車場に到着。そこから階段を下り、まっすぐ談山神社には向かわずに「十三重石塔(淡海公墓所)これより20m」との標識に従って坂道を上ると、多武峰第1駐車場から5分ほどで淡海公十三重塔に至ります。なお、談山神社でいただいたリーフレットには、「峯の塔」と記載されていました。淡海公は、『妹背山婦女庭訓』ではお三輪と橘姫から慕われる求馬(もとめ)実ハ藤原淡海という役名ですが、歴史の教科書では藤原鎌足の次男・藤原不比等として知られます。    
 淡海公十三重塔から10分弱歩くと談山神社の西入山入口受付に至ります。ちなみに、リーフレットには、「談山神社へは」として、「近鉄・JR桜井駅南口より 奈良交通バス約25分 終点・談山神社下車徒歩5分」とありました。  拝殿にて、吉田和生師匠を代表として公演成功祈願の後、境内を散策。リーフレットによると、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が蘇我入鹿を討つ極秘の「談」合をしたのがこの裏山で、現在の社号の「談山神社」もここからきているとのことです。また、鎌足の長男・定慧(じょうえ)和尚が、摂津国阿威(あい)山にあった鎌足の墓から遺骨の一部を多武峰山頂に改葬し、十三重塔(淡海公十三重塔とは別)と講堂を建立して妙楽寺と称し、さらに神殿を建てて鎌足の神像を安置したのが談山神社の始まりとのことです。    

淡海公十三重塔への標識

淡海公十三重塔

談山神社正面入山入口

  談山神社権殿(左)・
十三重塔(右上)・神廟拝所
 
 
  15時15分にバスで出発し、大阪市内に入ったところで渋滞に巻き込まれながら、16時43分に国立文楽劇場に到着し、無事解散となりました。(YE)
 
 四段目 
  (2013年)5月のある日曜日。晴天。朝からかなり暑くなるとの予報(28℃になったとニュースで知りました)。 近鉄上本町地上駅に9:00集合。8名参加。
9:15発急行宇治山田行に乗車。 桜井駅まで運賃610円。 
9:56桜井駅着。乗り換え時間4分。ここでJR桜井線奈良行に乗換え。JR三輪駅10:03着。運賃140円。あっという間に着いたので慌てて、せっかく持参した次回文楽公演ポスターとチラシを入れた文楽絵柄の紙袋を網棚に置いたまま下車。あの紙袋を誰か、持って帰ってどこかにポスター貼っていてほしいです。
意外に近くでした、乗車時間 48分間。
 
  まず、三輪明神大神神社に向かいました。 JR三輪駅前を少し行くと案内板が。それに沿って右手に行くと大きな参道に出ます。歩くこと数分、間もなくうっそうとした木立を背に二の鳥居が見えて来ます。さすがに、由緒正しい雰囲気です。 ここで、大神神社の石柱とともに参加者の写真を写し、いざ本殿へ。 大神神社(おおみわじんじゃ)は、大物主神(おおものぬしのかみ)を祀り、本殿は設けず、拝殿の奥にある三ツ鳥居を通して、ご神体の三輪山を拝します。 拝殿の右側には「巳の神杉」があります。三輪の大物主大神の化身の白蛇が棲むことから名付けられたご神木で、蛇の好物の卵をお供えされています。
この日もたくさんの参拝者が訪れていました。 私たちも、公演の成功と、それぞれの思いをお願いしました。
 
 
駅前の案内表示
 
二の鳥居
 
拝殿
 
 巳の神杉
  一の鳥居    
大神神社を後にして、この日のお楽しみのひとつ、今西酒造見学へ。 駅前から来た道を真っ直ぐ戻り、三輪駅を左に見てそのまま真っ直ぐに行くと、恵比寿神社あります。その角を右に折れ今度は左へ折れてしばらく歩くと、目指す今西酒造は右手に。『妹背山婦女庭訓』「杉酒屋の段」の舞台になった作り酒屋で、お三輪さんの家です。 店の入口には、大きな杉玉がつるされていました。 1660年の創業以来350年。ちなみに大神神社の拝殿が再建されたのが1664年です。
14代目の若い社長さんが出迎えてくれました。 さっそく、酒蔵のある奥へ案内されました。 その通路には、日本酒を作るイネ二種、山田錦と奈良県産酒米の露葉風、それとご飯として食べるコシヒカリが、長さを比較できるように展示してありました。 日本酒用のイネは、長さが1、5倍。 私たちが食べるお米は、大体10%削るそうですが、日本酒にする米、特に大吟醸にいたっては35%にまで削り取る、つまり65%削り取るとのこと。でも削り取った米は捨てるわけではないです。米菓子の材料として利用されていますのでご安心ください。
さて、いよいよ酒蔵へ。 戸を開けて中に入ると、薄暗くひんやりとした空気と、お酒の良い香りがしました。 そう言えば、伺う前の注意事項として、朝納豆を食べてはいけないと言われました。  ひとつずつ工程を説明しながら、蔵人との酒造りの御苦労を、熱っぽく話してくださいました。 「楽しそうですね」と伺ったところ、即座に「楽しいです!」という答えが返ってきました。 気がついたことは、蔵の中は、ちりひとつ落ちていないどころか、どこもかしこも徹底的にお掃除してあることでした。 仕事の大半が掃除ですとおっしゃっていました。 酒粕にも種類があることをしりました。 もろみを袋に入れて、ぽたぽたとしぼる(袋しぼり)の酒粕はとろとろとして上等。機械でしぼるのは、板状で並み。 詳しいことは是非、訪ねて、14代目に直接聞いてください。
いよいよ利き酒へ。 その前に、三輪と日本酒の話を少し。  日本酒は奈良の地から発祥し栄えたと言われています。 三輪山は古くは三諸山と呼ばれ、「酒のもと」という意を持つ。 大神神社は日本酒と縁が深く、酒と杜氏の神を祀っていることから、毎年11月14日の酒祭りに、新酒が出来ると全国の酒造や杜氏があつまり、しるしの杉玉を賜ります。 「うま酒」は、三輪の枕ことばであることを初めて知りました。
さて、お待ちかねの利き酒。
三諸杉 純米吟醸 露葉風  2400円 1,8ℓ
三諸杉 超辛口         1900円 1,8ℓ
三諸杉 菩提酛         3000円 1,8ℓ
三諸杉 純米梅酒 梅杉謙信 2400円 1,8ℓ
   それぞれ 720mℓ もあります。 おまけで、袋しぼり 大吟醸もいただきました。7500円 1,8ℓ
また、今西酒造は、全国で5社しかない、どぶろくの醸造免許を持っているとのこと。そのどぶろくも一口いただきました。 どれも美味しくいただきました。 お酒以外にも、袋しぼりの酒粕で漬けた奈良漬けもありました。 すっかり、14代目のファン?になって、「頑張ってください」とご挨拶して、次の目的地へ。
見学と利き酒は、要申し込み 一人500円 ℡ 0744-42-6022
今西酒造ホームページ
追加情報ですが、現在は、聖林寺におられる国宝十一面観音は、もともとは、三輪山大御輪寺の本尊でした。 1742年、当時の今西当主が、天蓋を寄贈したそうです。 素晴らしい観音様です。 美味しくて楽しくて予定よりも長居をしてしまいました。
  
 
 
大神神社を後にして、この日のお楽しみのひとつ、今西酒造見学へ。 駅前から来た道を真っ直ぐ戻り、三輪駅を左に見てそのまま真っ直ぐに行くと、恵比寿神社あります。その角を右に折れ今度は左へ折れてしばらく歩くと、目指す今西酒造は右手に。『妹背山婦女庭訓』「杉酒屋の段」の舞台になった作り酒屋で、お三輪さんの家です。 店の入口には、大きな杉玉がつるされていました。 1660年の創業以来350年。ちなみに大神神社の拝殿が再建されたのが1664年です。
14代目の若い社長さんが出迎えてくれました。 さっそく、酒蔵のある奥へ案内されました。 その通路には、日本酒を作るイネ二種、山田錦と奈良県産酒米の露葉風、それとご飯として食べるコシヒカリが、長さを比較できるように展示してありました。 日本酒用のイネは、長さが1、5倍。 私たちが食べるお米は、大体10%削るそうですが、日本酒にする米、特に大吟醸にいたっては35%にまで削り取る、つまり65%削り取るとのこと。でも削り取った米は捨てるわけではないです。米菓子の材料として利用されていますのでご安心ください。
さて、いよいよ酒蔵へ。 戸を開けて中に入ると、薄暗くひんやりとした空気と、お酒の良い香りがしました。 そう言えば、伺う前の注意事項として、朝納豆を食べてはいけないと言われました。  ひとつずつ工程を説明しながら、蔵人との酒造りの御苦労を、熱っぽく話してくださいました。 「楽しそうですね」と伺ったところ、即座に「楽しいです!」という答えが返ってきました。 気がついたことは、蔵の中は、ちりひとつ落ちていないどころか、どこもかしこも徹底的にお掃除してあることでした。 仕事の大半が掃除ですとおっしゃっていました。 酒粕にも種類があることをしりました。 もろみを袋に入れて、ぽたぽたとしぼる(袋しぼり)の酒粕はとろとろとして上等。機械でしぼるのは、板状で並み。 詳しいことは是非、訪ねて、14代目に直接聞いてください。
いよいよ利き酒へ。 その前に、三輪と日本酒の話を少し。  日本酒は奈良の地から発祥し栄えたと言われています。 三輪山は古くは三諸山と呼ばれ、「酒のもと」という意を持つ。 大神神社は日本酒と縁が深く、酒と杜氏の神を祀っていることから、毎年11月14日の酒祭りに、新酒が出来ると全国の酒造や杜氏があつまり、しるしの杉玉を賜ります。 「うま酒」は、三輪の枕ことばであることを初めて知りました。
さて、お待ちかねの利き酒。
三諸杉 純米吟醸 露葉風  2400円 1,8ℓ
三諸杉 超辛口         1900円 1,8ℓ
三諸杉 菩提酛         3000円 1,8ℓ
三諸杉 純米梅酒 梅杉謙信 2400円 1,8ℓ
   それぞれ 720mℓ もあります。 おまけで、袋しぼり 大吟醸もいただきました。7500円 1,8ℓ
また、今西酒造は、全国で5社しかない、どぶろくの醸造免許を持っているとのこと。そのどぶろくも一口いただきました。 どれも美味しくいただきました。 お酒以外にも、袋しぼりの酒粕で漬けた奈良漬けもありました。 すっかり、14代目のファン?になって、「頑張ってください」とご挨拶して、次の目的地へ。
見学と利き酒は、要申し込み 一人500円 ℡ 0744-42-6022
今西酒造ホームページ
追加情報ですが、現在は、聖林寺におられる国宝十一面観音は、もともとは、三輪山大御輪寺の本尊でした。 1742年、当時の今西当主が、天蓋を寄贈したそうです。 素晴らしい観音様です。 美味しくて楽しくて予定よりも長居をしてしまいました。
  
 
恵比寿神社
 
今西酒造

酒米

酒蔵

酒蔵
後ろ髪を引かれる思いで今西酒造をあとにして歩き始めます。今度は恵比寿神社を右手に見たまま真っ直ぐ参道まで出たら、左に折れます。 途中、一の鳥居で記念写真。とても大きい石作りの鳥居です。 後ろを振り返ると、三輪山が見えました。国道に出たら右折し、途中三輪そうめん中西商店辺りで右のやや細い脇道に入ります。今西酒造から約15分ほど歩くと、右手大池のほとり、草むらに隠れていた「石碑、苧環塚」をようやく発見。見落としてしまいそうでした。 「天照大神うんぬん・・・」の碑文。文字が欠けているのかよく読めませんでした。
『妹背山婦女庭訓』では、求馬が橘姫の袖に苧環の赤い糸を付け、お三輪が求馬の裾に白い糸を付けて追うことになりますが、もともと、三輪山伝説で、崇神天皇の御代に、恋をした村の娘が、美しい若者の素性を知ろうとして、糸巻きの糸を若者の衣につけて、その後をたどっていくと、三輪山の神の社にたどりついた。その残った糸が三つ輪になり苧環をその石碑の下に納めているという言い伝えがあります。
そこから5分ほどで、邪馬台国の卑弥呼の墓ではないかと言われている箸墓古墳へ。 古墳は、近くに行くとどれも同じですね。
大分お腹が空いてきました。もう1時です。
本日の昼食場所まで5分くらい歩いて、ようやく、「株式会社三輪そうめん 山本」に到着。 御座敷に座って一息。全員、同じメニュー「古都 1000円」を注文。冷やしそうめん(エビと甘く煮た椎茸とサンドマメが入っていた)、柿の葉寿司2個、抹茶の蕨もち付き。美味しかったはず。予定を早めて10分後に来るバスに乗ることにしたと言われ何でもかんでも口に入れ、靴を履いて飛び出したんです。次来るときはユックリと味わいたいです。 後でお土産を買おうと思っていたのに、バスが来ると言われて大急ぎで、バス停へ。このバスを逃すと90分後まで待つと言われると走りました。
 

苧環塚 
 箸墓古墳
 定食「古都」
  次に向かうのは、「道行恋苧環」の舞台、石上神宮(いそのかみじんぐう) へ。
お店を出て右へ20mほどにある信号を渡り、上杉歯科医院の前にあるバス停「箸中」から奈良交通バス「天理行き」に乗ります。 バスの運行が1時間半に一本くらいですから、前もって調べておく必要あり。 天理市庁前まで20分ほど、運賃410円(ちょっと高い)。 バス停から少し道をバックして、信号を東へ(左側)渡ります。緩やかな坂を上り歩いて25分。かなり暑い日で、口数も少なくなりじりじり日焼けもしました。
こんもり木立の中に、石上神宮 総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰がれる御祭神は、第10代崇神天皇7年に現地、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には「石上神宮」「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも呼ばれていました。に参拝しました。 そこでお守りを買い求めました。国宝の七支刀(ナナツサヤノタチ)の絵柄。1000円。 足を休めながら、鶏型のおみくじを引いた人の運勢で盛り上がりました。
そこから、天理の商店街まで歩き、喫茶店で一休みしました。 天理の商店街は、門前市の雰囲気があり、右見、左見してきょろきょろしながらあるきました。 近鉄天理駅 16:16発 平端行きに乗り平端下車。 16:25発橿原線 急行京都行きに乗換え。途中、大和西大寺下車16:39、奈良線三宮行きに乗換え。 それぞれ自宅への路線に向かい、流れ解散になりました。
万歩計は16000歩~20000歩を示していました。それぞれの万歩計による誤差あり。大変お疲れ様でした。
(I.H.)    

石上神宮
   
   
   
   
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