演目ゆかりのすぽっと  
『勧進帳』         
 文楽に多くの演目のある源義経や弁慶とも所縁のある地・平泉へ行ってきました。
 平泉は、2011年6月「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」で世界遺産に登録されました。

  大阪伊丹空港から仙台空港へ。フライト時間は約1時間15分。
  仙台空港から「仙台空港アクセス線」に乗り、仙台駅へ向かいます。 仙台から平泉には2つの行き方があります。
 (1)仙台から東北新幹線を乗り一ノ関、東北本線に乗り換え平泉へ。所要時間は約1時間
   東北新幹線には全席指定という新幹線があります。乗車の際はご注意を。
 (2)東日本急行の高速乗合バス。期間運行バスです。
    仙台駅近くの「さくら野百貨店青葉通中央玄関」に乗り場があります。詳しくはHPでご確認ください。 今回は(1)のコースで行き、大阪から平泉まで約4時間半の道のりでした。
   
     
   
 平泉は小さな町なので駅付近にはレンタサイクルが何か所あり自転車(電動自転車もあるようです)や元気な方は町を歩いて散策できます。駅構内や近くの観光案内所には町の地図があり、スタッフの方も常駐されています。 また町内の観光地を回る平泉町巡回バス『るんるん』が走っています。
 平日は30分に一本、土日祝(4/16-11/6の期間)には15分に一本で巡回しています(1日フリー券も発売)  

 五条の大橋で弁慶を供にした義経は、平泉へ行き数年間この地で過ごします。その後の活躍はご存じの通り、兄頼朝に追われた義経は再び平泉を目指します。
  安宅の関を突破した義経一行は『義経記』によると北陸から出羽に入り栗原寺(宮城県栗駒市)身を整え平泉に入ったようです。

 平泉駅から約1.4㌔に中尊寺があります(バスで約10分、歩いて約20分) 周辺には駐車場が沢山あり

 平泉は1100年頃奥州藤原氏の初代清衡公によって開府、長治2年(1105)中尊寺を造営します。  

 
   中尊寺参道入口  
月見坂
 (急な坂で進行方向左に手摺代わりのロープがあります)  
 中尊寺は関山(標高130㍍)にあり、参道入口から月見坂を上がりますが本堂まで560㍍、金色堂800㍍あります。急な坂なので歩くのは結構しんどいですが(砂利道で一部すべり止めのマットをひいていますが、足元にはご注意を)参道の両脇の大きな杉の並木の中を歩いていると清々しい気持ちになります。

 
天台宗東北大本山中尊寺 本堂  本尊は阿弥陀仏     やはり中尊寺と言えば金色堂     
        新覆堂の中に金色堂はあります    
 金色堂は、中尊寺創建当初の姿を伝える建物で天治元年(1124)に清衡公の発願で建立された阿弥陀堂。また壇の中には藤原四代の御遺体が安置されています。
  金色堂の近くに「讃衡蔵」という宝物館があり、「紺紙金銀交書一切経」等の藤原氏所縁の品々が納められています。

 ちなみに『奥州安達原』の安倍貞任・宗任の兄弟は清衡公の伯父にあたります。

  参道沿いには多くのお堂があります。散策していますと

 
 弁慶堂  
 

 
    平泉町巡回バス『るんるん』の中尊寺バス停の近く、
中尊寺の表参道を入る少し手前に武蔵坊弁慶墓

 平泉駅から約1.2㌔に高舘義経堂があります(バスで約10分、歩いて約20分)
高舘義経堂は平泉町巡回バス『るんるん』の高舘義経堂バス停から約5分 バス停の近くに駐車場あり
中尊寺から歩いて約10分
 高台にあり結構きつい山道です。歩いて入口まで階段で一直線に上がれますし、近くまで自転車で行くことはできますが急な山道で自転車は押して行く方がよいです。

  義経の平泉入りは文治3年(1187)頃と言われています。しかし半年後、義経の最大の庇護者だった3代秀衡公が病没。文治5年(1189)、頼朝の圧迫に耐えかねた秀衡公の子・泰衡公の襲撃にあい、この地で妻子ともに自害したと伝えられています。

このお堂は、天和3年(1683)仙台藩主四代・伊達綱村公が義経を偲んで建て中には義経の木造が安置しています。
ちなみに『伽蘿先代萩』の足利鶴千代のモデルが伊達綱村公 

 
 
 
義経堂から見た北上川

柳之御所遺跡から見た高館(右) 
 
 最期の地 高館義経堂            

 平泉駅から歩いて約10分に柳之御所遺跡があります。
 柳之御所(やなぎのごしょ)遺跡は、藤原氏の政治拠点「平泉館(ひらいずみのたち)」跡と推定されています。
 1969年の調査が始まり、1988年に平泉バイパス工事に伴う緊急発掘により発見。
  年代を測定してみると中心の年代は12世紀後半頃とされ、遺跡からは中国の陶磁器、渥美や常滑の陶器、生活遺物などが発掘。近くにある柳之御所資料館で出土品や遺跡の概要がわかります。
   大きな堀があったようです

館跡内には庭園がありました
 
 
  12世紀後半という事は、義経がここにあった建物を見ていた可能性があります。どんな風景だったのでしょうか。
  平泉駅から約700メートルに毛越寺があります。近くに駐車場あり

 
天台宗東北別格本山毛越寺(もうつうじ)   2代基衡公が造営し、浄土庭園として有名 観自在王院の庭園

 毛越寺の隣には観自在王院(2代基衡公の妻)や柳之御所跡近くの無量光院(3代秀衡公)を造営したが現在、建物はなく浄土庭園のみ残っています。特に無量光院は宇治の平等院鳳凰堂をモデルに造営されたようです。

  平泉は、藤原氏が滅んだ後急速に衰退をしていき、中尊寺や毛越寺等の寺院も早い時期に焼失します。しかし、寺院跡や発掘される遺物を見ていると決して都に負けない文化がここにあった事を実感します。当時の様子や義経や弁慶に思いを馳せながら地図を片手に散策するのもいいのではないでしょうか。

 他にも金鶏山の麓に「義経妻子のお墓」や平泉の歴史を紹介する「平泉文化遺産センター」(平泉町巡回バス『るんるん』で駅から約7分)、近くには温泉施設もあります。

 *寺院の拝観時間は時期によって異なりますのでご注意ください。また、電車の場合、本数が少ないので時間の余裕を持って散策するのをお薦めします。
(I.M)
   
   
   
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