演目ゆかりのすぽっと        
 『一谷嫩軍記』  
   
  熊谷桜の段/熊谷陣屋の段  

 源平合戦ゆかりの「須磨寺」を尋ねました。
 須磨寺へは、山陽電鉄、阪神電車、阪急電車の「須磨寺駅」で下車し、北へ約5分、大阪梅田からだと約50分ほどで到着です。
 仁王門を潜って左手に「源平の庭」があります。平敦盛像と熊谷直実の像が対峙して、今まさに一ノ谷での一騎打ち…、その場面を再現した庭です。庭の角には弁慶が「一枝を伐らば一指を剪るべし」と制札を立てた、「若木の桜」があります。

 ちなみに、その制札に書かれていたのは、

   須磨寺桜
  此花紅南所無也、一枝於折盗之輩者、
  任天永紅葉之例、伐一枝者可剪一指
   寿永三年二月日

  
   此の花 江南の所無(しょむ)なり、一枝折盗(せっとう)の輩者(やから)に於いては
   天永紅葉の例(たとえ)に任せ、 一枝を伐る者は一指を剪(きる)可(べし)

 その制札は、宝物館に収められています。そこには、敦盛が所持した「青葉の笛」も展示されています。
 
 さて、宝物館を出て、階段を上り唐門を潜ると正面に本堂があります。開創以来、火災、洪水、地震などの災害によりたびたび建て直されたそうです。 現在の本堂は慶長七年(1602)豊臣秀頼が再建したものですが、内陣の宮殿は応安元年(1368)の建造になるもので、重要文化財です。本尊聖観世音菩薩、脇侍毘沙門天、不動明王が祀られています。昭和47年には、文化庁の指導で全面解体修理が行われ、六百年前の姿に復原されました。この後、阪神淡路大震災の被災を乗り越え、平成17年にも復元のための修理が行われ現在の姿になっているとのことです。
 
須磨寺唐門
 
 
源平の庭
 
若木の桜
 
 宝物館
  
青葉の笛
  弁慶の鐘  
義経腰掛けの松 
 
敦盛公首洗いの池
 




敦盛塚 
 

御蕎麦屋さん
 
案内の石碑 
 
敦盛塚
 
  本堂の右手に進むと、「弁慶の鐘」があります。一の谷の合戦の際、弁慶が山田庄安養寺からこの鐘を長刀の先に掛けて担いで来て陣鐘の代用にしたと言われています。銘に「摂津矢田部郡丹生山田庄原野村安養寺之鐘」とあります。旧鐘は宝物館に納められており、この鐘は一の谷合戦八百年記念に複製した新鐘とのことです。

  本堂の左手へ進むと、「義経腰掛けの松」が横たわっています。一の谷の合戦後、源義経公はこの松に座って敦盛公の首と笛を実検したそうです。その前には、「敦盛公首洗いの池」が。首実検の前に敦盛公の首を洗い清めたとされる池です。
 
  さらに進んでいくと、右手に五輪塔があります。寿栄三年(1184)年二月七日に起きた一の谷の戦いで、熊谷直実に討たれ戦死した平敦盛の菩堤を弔う為に建立された「敦盛公墓所(首塚)」です。
胴体は須磨浦公園にある「敦盛塚」に祀られています。行ってみましょう。

  須磨寺駅まで戻り、姫路方面へ2駅目の須磨浦公園駅に行きます。駅右手の駐車場を奥まで進むと「敦盛塚」への案内石碑があります。それに沿って国道へ降り、右手に少し進むと「敦盛そば」と暖簾のかかったお蕎麦屋さんがあります。その奥に敦盛の供養塔「敦盛塚」が建っています。高さ約3.5メートルの五輪の石塔で、室町時代のものではないかと考えられているそうです。(SK)


   
 
   
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