文楽すぽっと
 
 
演目ゆかりのすぽっと  
 『玉藻前曦袂』
 
  清水寺の段

 今回半通しとなる「玉藻前曦袂」の幕開きは、「清水寺の段」。ゆかりのすぽっと、先ずは清水寺から参りましょう。

 歩いて行くとすれば、京阪電車の清水五条駅から東にまっすぐ歩いて約25分。ぶらぁり散歩もいいですね。それ以外だとJR京都駅や阪急電鉄・河原町駅、京阪電鉄・祇園四条駅などからバスに乗って、清水道もしくは五条坂で下車して約10分程五条坂をえっちらおっちら登っていきます。祝日にお参りしましたが、えらい人でした。外国からの方も大勢観えられていました。

  最初に目に飛び込んできたのが、朱塗りの「仁王門」。門を潜ると右手に、絢爛豪華な建築美を見せ天高くそびえているのが「三重塔」、その奥には「経堂」が連なっています。経堂の左手には、「衆生の願い、求めに随って、叶えてくれるという大功徳をもつ大随求菩薩を本尊(秘仏)」としてお祀りされている「随求堂」があります。人の流れに従っていくと「清水の舞台」に出ました。舞台からの眺めを堪能する前に、先ずは「本堂」へお参りを済ませます。
 
  昔から思い切って決心することを「清水の舞台から飛んだつもりで・・・」といいますが、その語源となったのが、この場所。
錦雲渓(きんうんけい)の急な崖に、最長約12メートルの巨大な欅の柱を並べ、「懸造り」という手法で、釘を一本も使わずに組み上げた木造建築です。
本堂から張り出した「舞台」はちょうど4階建てのビルの高さにあたり、京都市街の眺望が見事。面積は約190平方メートル、410枚以上のヒノキ板を敷き詰めた「桧舞台」です。
この舞台はもともと、御本尊の観音さまに芸能を奉納する場所で、平安時代から雅楽や能、狂言、歌舞伎、相撲など、さまざまな芸能が奉納されてきました。現在でも重要な法会には、舞台奉納が行われます。
 治承4年(1180年)、源頼政が以仁王を奉じて平家追討に挙兵(以仁王の乱)しましたが、宇治川で平知盛の大軍に敗れ、この地で自害したと伝えれれています。

 (清水寺オフィシャルウェブサイトより)

 舞台を出て左手に行くと、「地主神社」が鎮座されています。元は清水寺の鎮守社でありましたが、今は縁結びの神さまとして若い女性やカップルに人気があります。

 お参りした日は、阿弥陀堂、奥の院は修復中で拝観できませんでした。

 そのまま「子安塔」にお参りです。名前の通り安産に大きな信仰を集めてきました。ここからは清水の舞台を正面に見ることができます。坂道を下っていくと「音羽の滝」に出ます。清水寺の寺名の由来となった瀧です。3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願するのですが、長い行列ができていました。

 舞台を右手に見て歩いて行くと「 阿弖流為・母礼の碑」が建っていました。顕彰碑に刻まれた樋文は次の通りです。

八世紀末頃、日高見国胆沢(いさわ)(岩手県水沢市(現在の奥州市水沢区)地方を本拠とした蝦夷(えみし)の首領・阿弖流為(アテルイ)は中央政府の数次に亘る侵略に対し十数年に及ぶ奮闘も空しく、遂に坂上田村麻呂の軍門に降り同胞の母礼(モレ)と共に京都に連行された。
田村麻呂は敵将ながらアテルイ、モレの武勇、人物を惜しみ政府に助命嘆願したが、容れられず、アテルイ、モレ両雄は八〇二年河内国で処刑された。
この史実に鑑み、田村麻呂開基の清水寺境内にアテルイ、モレ顕彰碑を建立
す。 

 帰りは茶碗坂をのお店を見てあるきながら、阪急電車河原町駅までぶらぶら歩いて戻りました。(SK)

 
 
 
 仁王門
 
三重塔
 経堂  
随求堂 
 本堂  

地主神社

舞台から望む子安塔 

子安塔

音羽滝 

阿弖流為・母礼の碑
 
 神泉苑の段 

 京都・二条城の南に位置する神泉苑を尋ねました。最寄り駅は、京都市営地下鉄東西線「二条城前」駅3番出口を出て、西方向に2分程度です。駅構内には文化財の展示ケースが設置され、地下鉄東西線建設にともなう発掘調査の成果とその出土遺物(神泉苑跡出土遺物など)が展示されています。ぜひご覧になってください。
 JRですと、山陰線二条駅東口を出ると目の前が御池通ですので、真っ直ぐ東へ歩いて約10分ほどで行くことができます。

 さて今回は、阪急大宮駅から歩きました。特急・快速急行は停車しません、念のため。東出口改札を出て1番出口の階段を上がり、すぐ前の道路を右へ、一方通行のやや狭い大宮通をまっすぐ北に向かいます。
 交差する一つ目の通りが、錦小路通、続いて蛸薬師通、六角通、三条通、姉小路通と五つの通りを越すと左側に「二条陣屋」があります。江戸時代後期の豪商の屋敷として趣向を凝らした意匠と客の安全を図るための防衛建築が見られます。代々小川家の住宅であり,現住民家では全国で2番目に国の重要文化財に指定されています。その意匠は機智に富み、防衛建築は実に巧妙で、一見の価値があります。見学するには電話予約が必要です。(075-841-0972 10:00~18:00)
 
  
  

阪急大宮駅1番出口

大宮通 

二条陣屋

二条陣屋 

 二条陣屋案内
 
 二条陣屋を越すと、御池通です。そこを左に曲がると右手に目指す「神泉苑」があります。 阪急大宮駅から約15分です。

 平安京造営の時に設けられた宮中附属の禁苑で、大池には天皇や公家が船を浮かべ、歌や花、音楽を楽しみ、京都市の東西に伸びる通りの一つ御池通の由来にもなったとのことです。

 石橋を渡ると右手に建っているのが、「恵方社」です。「大歳神:歳徳神」が祀られていますが、毎年大晦日の晩に恵方に祠の向きが変えられます。この点が他の神社仏閣と異なるそうです(日本国内で毎年向きを変える「大歳神」は唯一ここだけに見られる祀り方であると伝えられる)。

 毎年大晦日に、住職の祈祷の後「歳徳神」の方違えが行われます。例年22時30分前後だとのことです。

 正面には「善女竜王社」が鎮座しています。神泉苑の池は、季節を問わずまたどんな日照りの年にも枯れることのない池で、そこには善女竜王が住むといわれています。
 この社の左に架かっているのがいるのが、「法成橋」。願い事を思いながら、西から一歩ずつゆっくりと渡り、その先の「善女竜王社」にお参りすると願い事が成就するといわれています。ただし、願い事は一つだけで、「神泉苑厄除け守護」のお守りを胸に抱いて歩くと願いのご利益が増すとのことです。
 早速お守りをいただき、本堂側からゆっくりと、願い事を心の中で唱えながら渡りました。もちろん、「善女竜王社」にもしっかりとお参りしてまいりました。

 「本堂」は法成橋を渡った西側です。本堂の前には、神泉苑玉垣・橋修復記念として蕪村の句碑が建っています。

 本堂を後に、入ってきた鳥居の方へ向かいます。池の隅には「弁天堂」が、さらに左奥の方には「鎮守稲荷社」が祀られています。
 神泉苑は、東寺真言宗の寺院で、聖観音・不動明王・弘法大師がご本尊です。
 神泉苑の北門を出ると押小路通で、「二条城」が目の前に飛び込んできます。
(SK) (Wikipedia参照)
 
神泉苑

 恵方社
 
善女竜王
 

善女竜王社

法成就池 

法成橋

本堂 

 弁天堂
 
鎮守稲荷
  
 
 
 
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