本朝廿四孝
 
解説
 戦国時代末期の武田・上杉の争いに取材した浄瑠璃としては、近松門左衛門が軍書『甲陽軍鑑』(元和7-1621年以前に成立)を種本に書き上げた『信州川中島合戦』(享保6-1721年8月竹本座初演)があります。信玄(しんげん)の子勝頼(かつより)と輝虎(てるとら)(謙信(けんしん))の娘衛門姫(えもんひめ)が恋に陥ったことが武田・長尾両家不和の原因となったが、信玄の軍師山本勘介(勘助)の尽力で和解し、恋人たちも結ばれる、というのが主筋のようです。大近松の作品を踏まえた近松半二・三好松洛・竹田因幡・竹田小出・竹田平七・竹本三郎兵衛合作『武田信玄・長尾謙信本朝廿四孝』は全5段の時代物。明和3(1766)年1月、竹本座で初演されました。
 上杉謙信の初名は天文(てんぶん)12(1543)年(14歳)に元服したときの長尾景虎(かげとら)ですが、永禄4(1561)年(32歳)閏(うるう)3月上杉憲政(のりまさ)から山内(やまのうち)上杉家の家督と関東管領(かんれい)職を相続してその偏諱(へんき)(実名の1字)を与えられて上杉政虎(まさとら)、同年12月今度は将軍足利義輝から偏諱を賜って輝虎と名乗りを変えましたが、元亀(げんき)元(1570)年(41歳)に出家して不識庵(ふしきあん)謙信と称し、天正6(1578)年49歳で急死しました。すなわち「長尾輝虎」「長尾謙信」という名乗りは実際には存在しないわけですが、実名を避ける配慮であろうと思われます。
 『二十四孝』は元代の郭居敬(かくきょけい)が編纂した、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物。今回上演の3段目「桔梗原」で慈悲蔵が我が子を捨てようとするところに郭居(かくきょ)の話、「勘助住家」で寒中に筍(たけのこ)を掘ろうとするところに孟宗(もうそう)の話が当て込まれているがゆえに『本朝(我が国=日本の)廿四孝』という外題になります。
 本作は武田・上杉の抗争の理由を説きほどくのに、自由な発想で実在・架空の人物を交錯させています。「史実とのつながり」などということを考えると頭が痛くなりますから、やめたほうがよいでしょう。全体の構想だけ言うと、「室町幕府12代将軍足利義晴暗殺(されていません。暗殺されたのは13代義輝です)の犯人とその元凶をあぶりだすために、武田・上杉両家が語らって戦い続け、ついに目的を達する」ということになります。初段切「室町御所」・2段目切「信玄館」・3段目切「勘助住家」・4段目切「謙信館」が重要場面。いつも上演される人気場面「十種香(じしゅこう)」「奥庭狐火」は4段目にありますが、「切」ではなく「中」。
  今回は半二が本来最も重視していたであろう3段目だけの上演ですが、本劇場で3段目が出るのは平成17(2005)年11月の全通し以来で12年半ぶり、「3段目だけ」出すのは大阪では昭和56(1981)年1月の朝日座が最後だったので実に37年ぶりの上演の仕方になります。
 3段目は、信玄の軍師として名高い山本勘助の片眼・片脚が不自由だった理由の説明と、対照的な性格の兄弟が敵対する2人の大名の家臣となる成り行きを中心に、『二十四孝』のエピソードを趣向として取り入れています。
 (F.T.)
 
5代目吉田玉助襲名披露 口上
 人形遣いの襲名が一幕の「口上」をもって披露されるのは平成27(2015)年4月の2世吉田玉男以来3年ぶりのことです。
 玉助の初代は本名吉倉玉助(1853~86)。初代吉田玉造(1829~1905)の子で元治元(1864)年初舞台。34歳で父より早く亡くなったため、玉造を継げませんでした。2代目は本名津田源吉(1866~1907)。明治7(1874)年初代玉助に入門、吉田源吉を名乗り松島文楽座で初舞台。同9(1876)年吉田玉七と改名、22(1889)年師の名を継いで2代目玉助となりました。同39(1906)年師の父にして大師匠の名跡を継いで2代目吉田玉造となりましたが、翌明治40(1907)年42歳で亡くなりました。3代目は本名小西奈良吉(1895~1965)。明治39(1906)年吉田玉松(1860~1926。初代玉助の門弟。明治42〈1909〉年3代目吉田玉造を襲名。大正元〈1912〉年玉蔵と改名)に入門、吉田玉小を名乗り堀江座で初舞台。大正5(1916)年文楽座に移り同14(1925)年吉田玉幸と改名。昭和17(1942)年3代目玉助を襲名。4代目は本名小西正義(1938~2007)。初代吉田玉幸(のち3代目玉助)の甥で養子となりました。昭和27(1952)年養父3代目玉助に入門し2代目吉田玉幸を名乗ります。立役遣いとして活躍しましたが、難病にかかり平成15(2003)年引退状態に。同19(2007)年逝去、享年70。今回4代目玉助を追贈されました。
  新・玉助は本名小西雅之。昭和41(1966)年2月2代目吉田玉幸の子として生まれ、同55(1980)年父に入門、吉田幸助を名乗り翌56(1981)年4月朝日座で初舞台。立役遣いとして修業を積み、数々の賞を受け、中堅として文楽座に欠かせない存在となり、今回の襲名に至りました。
 (F.T.)
 義経千本桜
 解説
  2世竹田出雲・三好松洛・並木千柳合作。時代を平家滅亡直後にとり、失脚し都落ちする源義経と、ひそかに生き延びていた新中納言知盛(しんちゅうなごんとももち)・三位中将維盛(さんみちゅうじょうこれもり)・能登守教経(のとのかみのりつね)の3人の平家方武将の運命を描き、それにいがみの権太と狐忠信の挿話を絡めた全5段の時代物。3段目以降舞台が大和国南部の吉野山に移ります。吉野山は古くから桜の名所として知られていますが、とりわけ密集しているところは北の山下から南の山上にかけて下千本・中千本・上千本・奥千本と呼ばれています。こうして外題が『義経千本桜』となるわけです。延享4(1747)年11月竹本座で初演。「道行初音旅(はつねのたび)」は4段目冒頭に置かれた、義経の愛妾静(しずか)御前と佐藤忠信に化けた源九郎狐の道行。景事として単独で上演されることも多く、前回から僅か3年3か月を経ての再登場です。
 (F.T.)
 彦山権現誓助剣
 
 
 解説
 4.『彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんいかいのすけだち)』  梅野下風・近松保蔵の合作、全11段の時代物。角書「御陣は九州・地理は八道」。実録『豊臣鎮西軍記』にある豊前国毛谷村六助(ぶぜんのくにけやむらろくすけ)の話を基にしているようですが、宮本武蔵の物語から作意を得たものとも言われます。天明6(1786)年閏10月大坂・道頓堀東芝居初演。 長門(ながと)・周防(すおう)を支配する郡(こおり)家の剣道師範・吉岡一味斎(いちみさい)は、毛谷村の六助と師弟の契りを結び、ゆくゆくは惣領娘お園(その)と娶(めあ)わせて家を継がせると決めますが、孝行な六助はなお郷里で母と暮らします。その後一味斎は試合の遺恨から同じ家中の京極内匠(きょうごくたくみ)に殺され、お園と妹お菊が出奔した内匠を追って仇討の旅に出ます。六助は宮本武蔵、一味斎は武蔵の実父宮本無二斎(むにさい)、内匠は佐々木巌流(がんりゅう)(小次郎)に擬されています。 重要場面は3段目「郡音成(おとなり)館」・5段目「一味斎屋敷」・7段目「栗栖野(くるすの)」・9段目「六助住家」。9段目は歌舞伎での人気狂言です。文楽ではいつも8段目の「杉坂墓所(すぎさかはかしょ)」をつけて筋を通します。それだけなら3年3か月ぶりと早い再登場なのですが、今回は6段目「須磨浦」と「瓢箪棚(ひょうたんだな)(=栗栖野)」が加わります。5段組織でいえば3段目と4段目を上演する「半通し」の形。この形は大阪では昭和57(1982)年7月の朝日座以来36年ぶりになります。
 (F.T.)
 
 
 
首の名前
 役名 かしら名 
本朝廿四孝
高坂妻唐織 老女方
越名妻入江 八汐
慈悲蔵 実は 直江山城之助 検非違使
一子峰松 男子役
高坂弾正 孔明
越名弾正 金時
女房お種 老女方
百姓正五郎 端役
百姓戸助 端役
長尾景勝 文七
勘助の母
横蔵 後に 山本勘助 文七
   
 義経千本桜
静御前   
狐忠信 源太
  
彦山権現誓助剣 
娘お菊
一子弥三松 男子役
若党友平 検非違使
京極内匠  文七
惣嫁お鹿 お福
惣嫁お仙
惣嫁菊野 老女方
若党佐五平 武氏
娘お園 老女方
青侍 祐仙
いたち川 鬼若
轟伝五右衛門 孔明
家来 端役
毛谷村六助 文七
杣松兵衛 端役
杣槙蔵 端役
杣樫六 端役
斧右衛門の母 
門脇儀平 小団七
山賊 端敵
弟子曽平次 陀羅助
弟子軍八 端敵
杣栗右衛門 端役
母お幸
杣斧右衛門 斧右衛門
 








 
衣裳
本朝廿四孝
慈悲蔵 実は
直江山城之助
 
1 納戸紬石持着付(なんどつむぎこくもちきつけ)
2 浅葱繻子石持着付(あさぎしゅすこくもちきつけ)
3 白綸子紺地錦袖熨斗目半腰(しろりんずこんじにしきそでのしめはんごし)

横蔵 後に
山本勘助
 
1 焦茶木綿夜具縞平袖着付(こげちゃもめんやぐじまひらそできつけ)
2 革色天鵞絨あばれ熨斗繍大寸着付(かわいろびろうどあばれのしぬいだいすんきつけ)
義経千本桜
静御前  赤綸子流水枝垂桜繍袖房付着付(あかりんずりゅうすいしだれざくらぬいそでふさつききつけ)
狐忠信  黒繻子源氏車台付平袖着付(くろしゅすげんじふるまだいつきひらそできつけ)
彦山権現誓助剣
毛谷村六助  1 納戸紬石持大寸着付(なんどつむぎこくもちだいすんきつけ)
2 茶木綿石持大寸着付(ちゃもめんこくもちだいすんきつけ)
  納戸木綿水玉小紋裃(なんどもめんみずたまこもんかみしも)
娘お園  藤色綸子紫錦華紋立涌切継着付(ふじいろりんずむらさきにしきかもんたてわくきりつぎきつけ)
 



資料提供:国立文楽劇場文楽技術室衣裳担当
 
 過去のぷち解説
このホームページは文楽応援団が運営しています。当ホームページの資料、情報の無断転載は禁止です。
当サイトに関するメッセージは、こちらまでご連絡ください。
首の名前
ぷち解説
衣裳
inserted by FC2 system