八陣守護城
解説
 加藤清正は秀吉子飼いの勇士として知られ、また徳川幕府成立後も秀吉の恩顧を忘れず、家康と二条城で会見した遺児秀頼を守護した直後に急逝したことから、この英傑を恐れる家康による毒殺説が流れました。ここから天下の混乱とその収束を綴った本作が生まれました。なお人物名は他の時代物同様、史実と異なる呼称を用いていますが、『近江源氏先陣館』などの同系列の影響から、丸本での加藻朝清(加藤清正)が加藤正清、北畑春雄(徳川家康)が北条時政、正木左衛門(真田幸村)が佐々木高綱という風に上演につれ役名を改めています。

  [浪花入江](四段目)は、時政が正清を謀殺するため森三左衛門(雛絹の父)諸共に毒を服ませる件の後に当たり、三左衛門が死を遂げながらも正清がその健在を見せる場面でその超人的な姿が大がかりな船の仕掛け、豪快な笑いとともに示されます。
  [主計早討]からが八段目で、様々な立場の人々がそれぞれの思いで固唾を呑み注視する正清の安否を、その城の奥深く入込む足取りに合わせ辿ります。そしてその的は「武威三軍に鳴り響き、唐国までも今の世に怖じ恐るゝも理なり」、その圧する威容として伝えられます。一方、主計之介と雛絹という大乱の前に悲恋となる若い男女の姿も美しく、「俄に一天照り輝き 北斗に映ずる剣の光」と名剣七星丸とともに、天下を取巻く幾重にも巡らされた策略が大内義弘の明智により顕らかにされる様は、大がかりなスケールの時代物浄瑠璃の面目躍如たる処です。そして本城高楼へと辿る道具転換とともに、死を迎える正清の姿が遠見に映し出される段切となります。
 (独立行政法人日本芸術文化振興会発行 第112回=平成20年4月文楽公演番付より)
 
 八陣守護城ゆかりの地
 この作には佐々木高綱や北條時政などが登場するので、鎌倉時代の初めごろの話のようにみえるが、実は豊臣家滅亡を目前にした江戸時代の初期に素材をとっている。従って劇中の人名も地名も、虚実入り混じって複雑きわまりないのだが、「門前」から「毒酒」の舞台になる「東山の仮御殿」は、京都の二条城が想定されている。
 二条城は、徳川家康が京都における宿所として築いたもので、慶長16年(1611年)には、この城で成人した豊臣秀頼と家康との会見がおこなわれた。その直後に加藤清正が病死したため、俗説では家康のために毒を盛られたとされ、この芝居はそのあたりの話を素材に取り入れている。続く「浪花入江」はもちろん秀頼のいた大阪で、その後の「主計之介早討」から「正清本城」にかけては、清正の本城である熊本城を想定している。熊本城は日本三名城の一つに数えられる名城で、西南の役で天守閣を焼失したが、戦後に再建されている。
 
 (日本芸術文化振興会発行 第46回=平成4年7月文楽公演番付 「ゆかりの地あれこれ 田結荘哲治氏」より)
 
鑓の権三重帷子 
 解説
 享保2年(1717)8月竹本座初演。近松は65歳。大坂高麗橋で実際にあった妻敵討をもとに、当時有名な「鑓の権蔵」なる侠客の名前を冠した美男の小姓笹野権三をその主人公として設定しました。
 幕藩体制が安定し、武家官僚社会の硬直した時代が訪れます。そんな時勢に立身出世を志す権三と、わが子の行末を切実に案ずるおさゐ、それぞれに己の幸せを求めた果に、思わぬ展開と悲しい結末を産む皮肉。姦通そのものが描かれるわけではなく、そこに至る運命の浅ましさ、移ろう心情の哀れさに光をあてて物語は展開します。
  (独立行政法人日本芸術文化振興会発行 第92回=平成15年11月文楽公演番付より)
梗概 
 (上演資料集310号「『鑓の権三重帷子』の作劇法 宗政五十緒氏」より)
 (上巻)笹野権三は当年25歳、役は表小姓、美男であった。かれは川側伴之丞の妹、雪と契を交わしたことがあった。権三と伴之丞とが乗馬のことで言い争いをしているところへ、進物番岩木忠太兵衛が来たり合わせ、此の度、若殿の祝言が済んだ悦びとして、国元において近国の一門方に振舞いをする、その馳走として真の台子の茶の湯をなすことになった、それで、自分の聟の、茶の湯の師範である浅香市之進は出府して不在であるから、家中の弟子衆の中の、真の台子を伝受された者に勤めさせよと、家老よりの仰付けがあった。だが、それを伝受された人を自分は知らないので、お尋ねする、それに、此の度の御用に立てば、その身の手柄となり、茶の湯に名をとることができる、という。これを聞いた権三と伴之丞とは、ともに伝受をまだうけてはいないが、是非これを勤めて手柄を得たいものと考える。
  浅香市之進の留守宅には、数寄で伊達気な37歳の妻おさゐが三人の子らとともに住んで居た。権三はその留守宅にゆき、おさゐに真の台子の伝受を願う。が、おさゐは、この伝受は一子相伝である、そこで権三が娘の菊の夫になるならば、彼は聟となるから子に相伝したことになる、と菊との縁組の希望を権三に出す。権三はこれを承知する。そうしているうちに、雪の乳母がやって来たというので、おさゐは権三に、今夜やって来てくれれば伝受の巻物を渡す、と約束し、権三はやがて帰ってゆく。ここでおさゐは、伴之丞が彼女に横恋慕していることを権三に語る。
  おさゐは、雪の乳母に居留守をつかい女中に用件を聞かせる。乳母は、権三と雪との関係を告げ、おさゐが、権三に雪と祝言することの口添えをしてくれるようにとたのむ。が、女中は不愛想にして彼女を帰らせる。
  おさゐは乳母のその話を聞いて権三に悋気を起こす。そのうちに権三がやって来て、数奇屋に入れて、真の台子の伝受の巻物をおさゐは見せる。
  そこへ伴之丞がやって来る。彼は家に忍び込んでおさゐを口説き、色の上でたらし込んで真の台子の伝受の巻物を得ようと考えている。
  数奇屋では、おさゐは権三に悋気の揚句、権三が雪からもらって締めている帯を解き、庭に投げ、自分がしめていた帯をしめよ、と投出すので、権三はむっとしておさゐの帯を庭に投げる。この二人の言い争いを忍んで聞いていた伴之丞は、二人の帯を拾い上げ、権三とおさゐが数奇屋で密通した、岩木忠太兵衛に知らせる、と叫んでそこを抜け出す。
 この事の意外な展開に権三・おさゐは驚いたが、今更せん方なく、権三は、不義の名が立ち、侍が廃った、このままで討たれて「死後にわれわれくもりない名をすゝげば、ふたりも共に一ぶん立つ」とこの場でやがてやってくるおさゐの父たちに討たれようと考える。が、おさゐは、二人が不義者になって市之進に討たれ、市之進の男の一分を立ててやってくれ、と願い、権三はこれを遂に承知する。その本文は、
 ・・・いかにしてもまをとこになり極まるは口をしい、オゝいとしや口をしいはもつともなれど、あとにわれわれ名を清めては、市之進は女敵を討ちあやまり、二度の恥というもの、ふしやうながら今ここで女房ぢや夫ぢやと、一言いうて下され、思はぬ難に名を流し、命をはたすお前もいとしいはいとしいが、三人の子をなした、廿年のなじみには、わしやかへぬぞと、わつとばかり歎きくづほれ見えければ、権三も無念の男泣き、五臓六腑をはき出し、くろがねの熱湯が咽を通る苦しみより、主のある女房をわが女房といふ苦患百倍千倍無念ながら、かうなりくだつた武運のつき、是非がない、権三が女房、お前は夫、エエ、エエ、エエいまいましい、とすがり合ひ 泣くよりほかのことぞなき・・・ 
 やがて二人は屋敷を出ていく。
(下巻)「権三おさゐ道行」。二人はやがて洛外墨染の里に身を隠して住む。 一方、国元では市之進が帰国する。おさゐの弟岩木亮平は、おさゐに横恋慕し ていたが身のさびが出て、暇をとって駈け落ちする伴之丞を討取る。市之進は甚平を介添にして妻敵討に出立する。
 さて、権三とおさゐは大坂に出ようとして伏見の京橋で夜船に乗った。が、船中の二人を、探し求めている甚平が発見し、市之進に告げしらせようと走る。二人もこれを知り、陸に上がって市之進・甚平の来るのを待つ。やがて、酉の下刻、京橋北の橋詰にて、やって来た市之進とわたり合い、権三・おさゐは討たれて死ぬ。
 
(日本芸術文化振興会発行 平成3年2月 上演資料集310号より) 
 
 心中宵庚申
 解説
 享保7年(1722)4月6日、生玉馬場先の大仏勧進所で八百屋半兵衛と女房のお千代という夫婦者が心中した事件が起こりました。この事件は話題となったらしく、まず、大坂豊竹座で紀海音作『心中二ツ腹帯』が上演され、22日から大坂竹本座の近松門左衛門作『心中宵庚申』と競演となりました。

 事件の原因と考えられる人間関係を、モデルに配慮したためか近松は実説とは変えたことにより、封建社会における家族制度の問題ととらえ、現代の嫁姑問題にも通じる普遍的な内容になっています。

 中の巻「上田村」のみ伝承され、八百屋の姑を悪人にした改作の『八百屋の献立』(平成16年正月にも上演)と共に上演されてきましたが、昭和40年(1965)11月大阪朝日座で下之巻「八百屋」「道行」を復活し、近松門左衛門の作として上演をかさねています。なお、「上田村」に先立つ遠州を舞台とする上之巻は割愛しています。
 (独立行政法人日本芸術文化振興会発行 第123回=平成23年7、8月文楽公演番付より) 
 大坂新靱油掛町の八百屋半兵衛は、もと武士の子でしたが、故あって町人となり、今は八百屋伊右衛門の養子になっています。今年は実父の十七回忌、半兵衛は父の墓へ参るため帰郷するのでした。
 (独立行政法人日本芸術文化振興会発行 第123回=平成23年7、8月文楽公演番付より)
 メモ・・・「宵庚申」とは?
 奈良時代に中国から日本に伝わった道教がもとになり、室町から江戸時代にかけて全国的に普及した民俗信仰。
 庚申は干支の“かのえさる”で、60日に一度巡って来ます。庚申の夜には、人が眠っている間に、体内に住む三尸(さんし)という虫が天に上り、神にその人の罪を告げると言われ、そのために庚申の日の前夜は眠らずに物忌みをするという風習が生まれました。これを宵庚申と呼び、庚申待ち、庚申会、庚申祭とも言われます。
 各地に庚申堂や庚申塚が作られ、一般には青面金剛(しょうめんこんごう)を本尊とし、他に猿田彦神、あるいは見ざる言わざる聞かざるの三猿を祀って庚申さんと呼ぶ所も有ります。
 庚申さんは血や不浄を嫌い、特に男女の交わりを戒めました。人々は飲食を供えて無病息災を念じます。やがてこの集まりに娯楽的な要素も加わり、お供えの飲食を分かちあって、庚申の宵を昔語りや談笑で過ごすようになりました。
 (日本芸術文化振興会発行 第76回=平成11年11月文楽公演番付より) 
 『吉田玉男(初世)文楽藝話』(心中宵庚申の項)より抄録
 戦後に復活された近松物の中で、『曾根崎心中』『女殺油地獄』と並んで、くり返しての上演が定着した作品の一つです。

 「上田村」はそこそこに初演時の曲が残っているそうですけど、「八百屋」は、改作の『八百屋献立』が伝わっていて、折衷して上演しました。
 改めて、吉永孝雄さんの演出、「八百屋」を先代喜左衛門さん、「道行思ひの短夜」を松之輔さん、それぞれの作曲、澤村龍之介さんの振付で復活されたのは、昭和40年10月の朝日座。浄瑠璃は、先代綱大夫さん・弥七さんの「上田村」、つばめ大夫(後の越路大夫さん)・先代喜左衛門さんの「八百屋」、道行は掛合。人形は栄三(二世)さんのおかるに、勘十郎君の島田平右衛門、辰五郎さん・玉五郎さんの八百屋夫婦、そして、蓑助君のお千代、私が半兵衛でした。
 復活物の場合は、役づくりのお手本がありません。その分、もちろん難しいのですけれど、逆に言えば、役を自分の研究や工夫で一から創り上げていく、楽しさと喜びがある。同じ近松さんの心中物に描かれている人物でも、それぞれ、年齢も違えば、置かれている立場、境遇も異なります。丸本を熟読して役の性根を把握し、演技を創造していく過程には、やり甲斐を感じたものです。『心中宵庚申』は、復活物をいくつか手がけてきた経験の後に勤めましたから、抽斗も少しは出来た時分で、その他の世話物の役柄を参考にしながら、半兵衛の役づくりをしていきました。
 「上田村」の台詞に、「拙者も無事に遠州より、只今罷り帰ります」とあるように、半兵衛は元武士です。とはいえ、今は大坂の八百屋の養子となっている。侍であったことを念頭に置きながらも、あまりそれにこだわってはいけない。「武士の性根を見せる」といって脇差を抜き、切腹しかける場面位に止め、後は、大夫さんの語りに助けていただきながら、あくまでも町人らしく演じる。なお、平右衛門の首(かしら)は、初め武氏(たけうじ)だったのですけど、綱大夫さん・弥七さんの演奏を聴いた、首割委員(かしらわりいいん)の文雀君が、武氏では貧弱だと感じて、舅(しゅうと)に替えたそうです。農民といっても“島田”という苗字まであり大百姓ですし、娘夫婦に「灰になっても帰るな」と毅然とした態度をとるほどの人物ですからね。

 現代の社会状況や家庭環境とは異なる時代の物語ですけど、半兵衛とお千代の間に交される夫婦愛や、平右衛門の、父として娘に寄せる情愛など、今に通じるものがありますね。「八百屋」の姑も改作(『八百屋献立』)では、嫁をいびる理由がへんねし(嫉妬)からであるとはっきりしていて、わかりやすくはあるのですけど、近松さんの原作の方が、言葉では言い表すことの出来ない人の心の闇を描いているようで、やはり奥が深いように思います。(聞き手 森西真弓氏)
 (日本芸術文化振興会発行 国立劇場上演資料集増刊=2007年9月『吉田玉男文楽藝話』より) 
 
 
『心中宵庚申』ゆかりの地巡りはこちら 
 
 紅葉狩
 解説
 信州戸隠山は天照大神が隠れた天岩戸を、天手力雄命が強力で開き、捨てて出来た山とされています。そんな神秘性豊かな山を舞台に鬼女伝説を描いたのが謡曲『紅葉狩』です。高尚な夢幻能が数多い能楽に一石を投じた大衆性あふれる作とされています。明治期に河竹黙阿弥により義太夫、常磐津、長唄の三方掛合いからなる歌舞伎舞踊曲が編まれ、人気を高めたのを受け昭和14年に人形浄瑠璃に取り入れられました。美しい紅葉、そこに潜む山の神秘性を背景に、妖艶な更科姫の舞から、鬼女と維茂との勇壮な立廻りが展開されます。
  (独立行政法人 日本芸術文化振興会発行 第104回=平成18年11月文楽公演番付より)
 (S.M.)
 
 
首の名前
 役名 かしら名 
八陣守護城
加藤肥多守正清 文七
娘雛絹
鞠川玄番 与寛平
雛絹母柵 老女方
加藤主計之介清郷 源太
早淵久馬 端敵
忍び 男つめ
腰元照葉
腰元深雪 お福
大内冠者義弘 孔明
奥方葉末 老女方
船頭灘右衛門 小団七
児嶋元兵衛政次  大団七 
船頭 つめ
 
 
娘お雪   
お雪の乳母
笹野権三 源太
川側伴之丞 陀羅助
岩木忠太兵衛 鬼一
女房おさゐ 老女方
奴角助 端役
倅虎次郎 男子役
娘お菊 小娘
下女まん
下女お杉 お福
下人浪介 端敵
踊り子 源太
踊り子
浅香一之進 孔明
岩木甚平 検非違使
  
心中宵庚申 
下女お菊 丁稚
下女お竹 鼻動き
下女お鍋
娘おかる 老女方
駕籠屋 男つめ
駕籠屋 男つめ
女房お千代 ねむりの娘 
百姓金蔵 端敵
島田平右衛門
八百屋半兵衛 源太
丁稚松 丁稚
伊右衛門女房 悪婆
下女さん お福
甥太兵衛 又平
西念坊 斧右衛門 
八百屋伊右衛門 武氏
更新参り
更新参り 若男
 
紅葉狩
平惟茂 検非違使
更科姫実は鬼女
鬼女
腰元
腰元 お福
山神 鬼若
 








 
衣裳
八陣守護城
  浪花入江の段
加藤肥多守正清  黒ビロード大寸半腰くろびろーどだいすんはんごし)
朱地金襴蜀江長裃しゅじきんらんしょっこうなががみしも)  
娘雛絹  鴇花紗綾形綸子御所解縫振袖着付・打掛ときはなさやがたりんずごしょどきぬいふりそできつけ・うちかけ)
黒繻子花霞縫振帯くろしゅすはなかすみぬいふりおび)  
鑓の権三重帷子
  伏見京橋女敵討の段
笹野権三 白麻黒縞染単衣着付(しろあさくろしまぞめひとえきつけ)
女房おさゐ  白麻秋草露芝墨絵単衣着付(しろあさあきくさつゆしばすみえひとえきつけ) 
心中宵庚申
 道行思ひの短夜
女房お千代  黄縮緬赤茶格子染着付(きちりめんあかちゃこうしぞめきつけ)
八百屋半兵衛  土器茶縮緬黒格子染着付(かわらけちゃちりめんくろこうしぞめきつけ)
紅葉狩
平惟茂  藤色精好地花丸染縫文狩衣ふじいろせいごうじはなまるそめぬいもんかりぎぬ)
更科姫  赤花紗綾形綸子秋草花縫着付(あかはなさやがたりんずあきくさはなぬいきつけ)
鬼女  金無地黒繻子雲銀糸縫台付半腰きんむじくろしゅすくもぎんしぬいだいつけはんごし)
 



資料提供:国立文楽劇場文楽技術室衣裳担当
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ぷち解説
衣裳
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