花競四季寿
 解説
 

 春は京都の町を背景に大和万才が繁栄と長寿をことほぐ「万才」。

夏は丹後半島の浜を背景に擬人化された蛸を相手に野趣に満ちた海女の恋を描く「海女」

秋は逢坂の関を舞台に若き日の栄華を忍ぶ老女小野小町、百夜通いの深草少将の霊に責められるのは能『卒塔婆小町』の曲想です。

そして冬は雪の洛北を背景に鷺の化身が舞踊る「鷺娘」。

 関西の名所を背景に、日本の四季が一時に舞台に再現されます。

 (日本芸術文化振興会発行 第89回=平成151月文楽公演番付より)
 
彦山権現誓助剣
主な登場人物 
 
 解説
  豊臣秀吉九州在陣の話を記した資料、『豊臣鎮西軍記』の中にある、毛谷村六助の仇討を脚色した十一段つづきの時代物です。作者は梅野下風、近松保蔵。
 天明六年(1786)閏十月、大坂道頓堀東芝居で初演されました。「杉坂墓所」は八段目、「毛谷村」は九段目に当たります。
  (独立行政法人日本芸術文化振興会発行 第117回=平成221月文楽公演番付より)
 
これまでのあらすじ
 長門国郡(こおり)家の剣術指南役、吉岡一味斎が暗殺され、その姉娘お園を始めとする遺族が、敵の京極内匠を追い求め旅立ちます。対する京極内匠は銅八と名を変えて来栖野の街道で乱暴狼藉を働きつつ、道端博奕を貪っていました。他方、お園は辻君に身をやつし敵を探していたところ、懐に入れていた千鳥の香炉が鳴り出すのがキッカケで相手が京極と知れ、名剣を巡り、お園と奪い合いになるのでした(七段目)。
(独立行政法人日本芸術文化振興会発行 第117回=平成221月文楽公演番付より)
 
 このあとの物語
≪十段目≫

 六助は立浪家で、弾正(京極内匠)との再試合を申し入れるが、京極は酔ったふりをするなど応じようとしない。轟伝五衛門の口添えで、大名の家臣となることによって仇討ちの許しを得られることを知る。三十七番の相撲に勝って加藤清正の家臣となり、貴田孫兵衛と改名し晴れて仇討ちを許される。

十一段目

 お幸、お園は六助の助勢で、京極内匠を討ち首尾よく本懐を遂げる。

(国立文楽劇場上演資料集〈17〉 『彦山権現誓助剣』全段のあらすじより)
 
抜き書きノート 
≪上演資料集〈428〉吉田玉男師芸話より≫

『彦山権現誓助剣』で何といっても楽しみな役は、京極内匠。私は昭和427月の朝日座が初役で、57年にも勤めていますが、敵役でも特に好きな役の中の筆頭格です。どうしてそんなに面白いのか、ですか?この役は宮本武蔵と決闘したことで有名な佐々木小次郎がモデルらしいのですけれど、剣豪で、しかも色男。それも単なる二枚目ではなくて苦みばしった色悪、色敵です。

首は悪の利いた文七で、「志渡寺」で坊太郎をいじめる森口源太左衛門にも用いている。極悪人で、それをストレートに出せるところ、現実では出来ない経験を舞台ならでは味わえるのが、大きな魅力ですね。変身願望?そうかもしれません(笑)。

(日本芸術文化振興会発行 国立劇場上演資料集〈428〉「玉男芸話8」より一部抜粋)
 
義経千本桜 
 解説
  延享4年(174711月、大坂竹本座初演。全5段から成る時代物で、二世竹田出雲、三好松洛、並木千柳の三人による合作です。前年に『菅原伝授手習鑑』、翌年に『仮名手本忠臣蔵』と、三大名作が相次いで初演された、人形浄瑠璃全盛期の代表的な作品です。

 平家追討の功績がありながら兄頼朝に追われる源義経主従の流転を、源平の合戦で討ち死にしたはずの平家の武将たちの後日譚を交えながら描かれます。

(独立行政法人日本芸術文化振興会発行 第125回=平成241月文楽公演番付より)
 
 これまでのあらすじ
  源義経は兄頼朝に追われ九州へと旅立つことになり、愛妾の静御前を都に残すことにします。嘆き悲しむ静御前に形見として院から拝領した初音という名の鼓を渡し、追ってこないように木に括りつけ、義経は去っていきます。

 静御前は頼朝の追手に見付かり、連れ去られそうになったところを、家来の佐藤忠信に救われます。この様子を見ていた義経は万一の時には「源九郎義経」と名乗れと自分の鎧を忠信に譲り、静御前を預けて行くのでした。

 (独立行政法人日本芸術文化振興会発行 第125回=平成241月文楽公演番付より)
 
 このあとの物語
 吉野一山の検校職たる川連法眼が、山科の荒法橋や梅本の鬼佐渡坊、横川の覚範らに、義経を討って出せとの頼朝の飛札を読み、義経をかくまうべきか鎌倉の命に従って討つべきかと評議する。返り坂の薬医坊はじめ皆々義経の味方をしようと主張するのに、法眼一人、義経を討つべしと主張して立ち去る。その態度を見て、覚範は法眼は実は義経をかくまっていて落としてやるつもりだと言い放ち、一同直ちに法眼館へ討手に向かうこととなる。

 法眼は妻の飛鳥が鎌倉の忠臣の妹なので、その気持ちをためすために、義経を討つと見せかけたが、自害までしようとした飛鳥の覚悟を知って心を解き、本心をきいて安堵し、義経も感謝する。義経に委細の報告をしているところへ奥州から忠信がくるので、法眼夫婦は次の間へたつ。

 義経は忠信と対面しその方に預けた静はどうしたのかと問うが、忠信には合点がいかず、不審に思っているところへ、静と忠信がたずねてくる。しかし、もう一人の忠信がいるので静といっしょにきた忠信は見えなくなってしまう。静が鼓を打つと伴の忠信が必ず現れるので、静は鼓の音で、にせ忠信を引き寄せ成敗しようと切りつける。にせ忠信は身の上を語り、初音の鼓の皮になった老狐の子であるとあかすので、親を慕う心、これまでの忠勤をめでて義経は鼓を子狐に与える。狐忠信は喜びその恩を謝し、今夜吉野山の衆徒が攻め寄せてくることを教え、神通力で衆徒たちをさんざん悩ませる。衆徒の大将は横川の覚範という荒法師であるが、義経は覚範を教経だと見破り安徳帝を託し、再会を約してわかれる。

 かって義経を窮地におとしいれた藤原朝方は、川越太郎にとらえられてきたところを平教経に首を落とされる。佐藤忠信は源九郎狐の霊力に助けられて教経を討ちとり、兄継信の敵討を果たし、「四海太平安全」ということになる。

 (国立劇場発行 国立文楽劇場上演資料集〈21〉「解説と梗概」より抜粋)
 
 抜き書きノート
 ≪初音の鼓≫

 普通小鼓の皮には馬皮を用いますが、初音の鼓には狐皮が使われています。これは大和の国に源九郎狐と呼ばれる有名な狐がいるとされていたので、作者が源義経の通称源九郎と結び付けたのです。

 静御前に付き添っている忠信は、実はこの鼓に使われた狐の子狐であることが、この後に明らかにされます。

 (日本芸術文化振興会発行 第82回=平成134月文楽公演番付より)
 
 日吉丸稚桜
 主な登場人物
 
 
 解説

 近松柳・近松万寿・近松梅枝軒らの合作で、享和元年(1801104日から大坂北堀江市の芝居で初演された五段続きの時代物で、発端が付き「駒木山城中の段」は三段目に当たります。

 角書に「初更間(よいのま)は賤女の睦言、晨昒(あけがた)には英雄の産声」とありますが、日吉丸の出生から、秀吉が木下藤吉郎時代に、堀尾茂助の案内で間道から斎藤龍興の居城である美濃の稲葉山城を陥れたという事件に加え、清正が鍛冶屋の倅で、幼い頃父を失い母の縁を頼りとし、秀吉の許で養われ、遂にその臣下となり、武名を立てたとする、『絵本太閤記』の一節を綴り合わせてつくられました。

 全体の構想は、織田信長と今川義元(発端に登場)の確執を軸に、斎藤龍興らとの対立や、事実は不詳ながら、木下藤吉郎が一夜にして築いたとされる墨俣(すのまた)の一夜城のエピソードを綯い交ぜにして、物語に興を添えています。

 (日本芸術文化振興会発行 第110回=平成20年4月文楽公演番付より)
 
 これまでのあらすじ
  小田春永の臣下となった藤吉は、尾張への途上、今川(義元)家の密書を発見、大軍で押し寄せてくることを知り、春永に出城を築くことを進言をします。周囲の愚弄をよそに、城は一夜にして姿を現します。春永はその働きに満足し、木下藤吉郎と命名、駒木山城と二千石を与えます。この時、藤吉は人足の中に若い頃助けた堀尾源次郎を見付け召し抱えます。

 そんな中、人足として潜入していた斎藤方の間者が春永を襲います。怒りを発した春永は、報復のため、斎藤家の姫であった萬代姫の首を落とせと藤吉に命じます。

 一方、鍛冶屋五郎助(かじやのごろすけ)は娘婿源治郎が侍になったと聞き、息子の竹松などを伴って駒木山城を訪ねます。忘れ物をとりに戻った帰り、永井早太らの密談を聞き、藤吉が密かに萬代姫を逃そうとしていることを知るのでした。

 (日本芸術文化振興会発行 第110回=平成20年4月文楽公演番付より)
日吉丸稚桜』ゆかりの地巡り は こちら 
 
冥途の飛脚 
 解説
 1711年(正徳元年)竹本座にて初演。近松門左衛門59歳の作品で世話物の代表作のひとつにあげられます。

梅川・忠兵衛でよく知られる物語ですが、後年「傾城三度笠」「傾城恋飛脚」と改作がおこなわれ、さらに歌舞伎として「恋飛脚大和往来」が上演されました。「恋飛脚大和往来」は、のちに文楽に逆輸入され、原作以上に数多く上演されています。このように非常に人気のある芝居となり、「冥途の飛脚」は、これら一連の作品の元祖となった作品です。

近松原作と改作ものでは、登場人物の性格や段取りに多くのちがいが見られます。例えば、このうちもっとも性格が相違しているのは、ワキ役の重要人物、丹波屋八右衛門です。まず、「恋飛脚大和往来」の八右衛門は忠兵衛とともに梅川を張り合うライバルで、ことごとに忠兵衛に意地悪をする人物になっており、忠兵衛の持っている為替の封を切らせて罪に陥れたうえ訴人する敵役になっています。

これに対して原作の八右衛門は、見栄張りで短気な忠兵衛が公金に手をつけ、封印を自ら切って大罪をおかしてしまわないように忠兵衛の身を案じる友情あふれる人物として描かれています。このような違いだけでも比較して鑑賞するのもひとつのポイントでしょう。

 (日本芸術文化振興会発行 第42回=平成38月文楽公演番付より)
 
 抜き書きノート
 
≪飛脚屋≫

 信書・金銭・貨物などの送達を業とする者のことを言い、それらの使いに従事する人夫を仕立てることを請け負っていたのが飛脚問屋です。飛脚屋は鎌倉時代に京と鎌倉の間を鎌倉飛脚・六波羅飛脚が往復しましたが、定期便として発達したのは江戸時代で、継飛脚・大名飛脚・町飛脚などがありました。飛脚制度のおこりは上方で、飛脚問屋の軒数は宝暦時代以後、江戸が9、大坂が9ないし18と増減が激しく、京都が13ないし16となっています。

為替と封印

 為替は金銭を遠隔の地に送る場合に、不便や危険を避けるため、手形や証書や小切手で送る方法で、鎌倉・室町時代にはカワシと言い、手形による替え銭、あるいは米をもってする替米がありました。また、金包の封じ目に印を押捺するのが封印で、江戸時代に両替店で封印した通貨の包を封印付きと言い、為替の金には必ず封印が行われていました。

梅川忠兵衛二人の道行は・・≫(田結荘哲治氏「ゆかりの地あれこれ」より抜粋

 二人の道行は、四天王寺の庚申堂に始まって、「愛染さん」で親しまれている勝蔓院から南へと向かう。大念仏寺のある平野郷を通り過ぎ、藤井寺、誉田八幡を経て富田林へ入る。ここから東に道をとり、葛城の山並みを望みながら竹内峠を越えればもうそこは忠兵衛のふるさと、大和である。

 (日本芸術文化振興会発行 第42回=平成38月文楽公演番付より)
冥途の飛脚』ゆかりの地巡り は こちら 
首の名前
 役名 かしら名 
花競四季寿
太夫 若男
才蔵 祐仙
海女  
関寺小町
鷺娘
彦山権現誓助剣 
毛谷村六助 文七
杣松兵衛 端役
杣槙蔵 端役
杣樫六 端役
微塵弾正実は京極内匠 文七
斧右衛門の母 婆 
若党佐五平 武氏 
一子弥三松 男子役 
門脇儀平 小団七
山賊 端敵 
弟子曽平次 端敵 
弟子軍八 端敵
杣栗右衛門 端役
母お幸
娘お園 老女形 
杣斧右衛門 斧右衛門
義経千本桜 
静御前 娘  
狐忠信 源太
日吉丸稚桜
萬代姫
堀尾茂助義晴 源太
木下藤吉 検非違使
鍛冶屋五郎助実は加藤清忠 鬼一
忍び 端敵
伜竹松 男子役
女房お政 老女形
五郎助女房
永井早太 端敵
冥途の飛脚 
手代伊兵衛  斧右衛門
国侍甚内 端敵
母妙閑 婆(世話)
亀屋忠兵衛 源太 
下女まん  お福 
丹波屋八右衛門  陀羅助 
宰領  端役 
花車  老女形 
遊女梅川   
遊女千代歳   
遊女鳴渡瀬   
禿  女子役 
太鼓持五兵衛  端役 
駕籠屋  端役 
衣裳
義経千本桜
静御前 赤綸子流水枝垂桜縫袖房付着付(あかりんずりゅうすいしだれざくらぬいそでふさつききつけ)
狐忠信 黒繻子源氏車台付平袖着付(くろしゅすげんじぐるまだいつけひらそできつけ)
冥途の飛脚
亀屋忠兵衛 納戸縮緬小棒縞下衣裳付着付(なんどちりめんこぼうじましたいしょうつききつけ)
遊女梅川 納戸縮緬御所解友禅赤縮緬平金散し胴抜着付(なんどちりめんごしょときゆうぜんあかちりめんひらきんちらしどうぬききつけ)
 
資料提供:国立文楽劇場衣裳部
 
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